[未校訂]○岐阜日日新聞号外第三号
本巣郡根尾谷筋は実に言語に絶し岐阜地方の比に非
ず、同谷内に散在せる各村即ち東板所、板屋、樽見、
小鹿、西市場、神所、中村、越卒、門脇、長峰、天神
堂、黒津、長島、越波、大河原、佐原、金原、日当、
平野、水鳥等何れも惨状ならざるはなく、殊に東板所、
板屋、樽見、天神堂、黒津、金原、日当、平野、水鳥
等の諸村は最も悲惨の有様を極むるのみならず、此の
辺の地震は一種異様の現象にて例えば物を以て土中に
突き入れたるが如く、又巨人の手を以て屋上より押し
潰したるが如く、多数の潰屋は悉く潰れながら土中に
陥落し居れり。就中奇と称すべきは水鳥より樽見に通
ずる間、廿丁に五丁の平地あり、此の平地は地震と倶
に五間ほど土中に陥りたるが平地の面は毫も欠損せず
又壊裂せず現形の侭にて陥落し、其上に生ぜし樹木草
禾の類も更に傷害せられずしてあり。又水鳥村内に於
て有名の古刹なる西光寺と云うはこれも同じく遙か土
中に落込み、上より望む時は唯だ纔に寺の塔上を見る
べし。且つ四方の山々は一として旧形を存するものな
く、恰も芋の皮を剝ぎたるが如く昨日まで鬱蒼たりし
無数の樹木は影も止めず不思議にも亦驚くべきなり。
○明治二十四年十月二十八日濃尾大震災被害
県下重なる市町村災害一覧表
岐阜日日新聞社(十一月四日迄の調査)
市町村
岐阜市
東西加納町
那加村
黒野村
笠松町
竹ケ鼻町
高須町
高田町
総戸数
五八五二
一二六二
三四五
一六八
一二四二
一〇七〇
六二六
五七二
全壊
一九〇〇
六〇〇
一七〇
八三
七五五
五二八
二一二
一八
半壊
三〇〇〇
三二七
〇
八〇
一〇九
五九
〇
二
総人口
二五六七六
五八一五
一六五三
八三一
四九三四
四六六九
二四五八
二三五三
死亡
四五〇
一〇六
一〇
五
三〇五
一七二
一六
五
負傷
九〇〇
三〇
七
一〇
五八二
二三〇
二五
二五
火災戸数
二〇二五
二五
〇
〇
六四七
五六九
〇
〇
大垣町
今尾町
垂井町
揖斐町
池野村
北方町
高富村
関町
上有知町
八幡町
太田町
八百津町
御嵩町
多治見町
土岐津町
県合計
四五〇四
五七三
五六三
八〇二
三三二
八〇四
四六一
一二五六
八三六
一三九二
五一九
九三七
三三三
一五七七
五〇三
五七〇一〇三
三三五六
五〇二
三
六〇
七四
六九七
四一三
四二六
二五
一
二三
六
四
四
三七
八〇六二八
九六二
〇
二
〇
一〇四
二一二
〇
五一六
一四
〇
〇
〇
一〇
一二
三三
五〇一五五
一七五一六
二四七六
二三三八
三四二二
一一三九
三三六四
一七四六
五〇三三
三四五八
六七三六
二二三四
四七六五
一二八五
六七六三
二三三八
一六一〇七〇一
八八九
五七
一
五
一
一三一
一二七
九六
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
一〇八四六
二二七〇
九
〇
二〇
四
三二五
二五八
一二三
五
〇
〇
〇
〇
三
四
三〇一八二
二一〇五
〇
〇
〇
〇
〇
〇
一二一
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
四〇九三一
他略
[明治二十四年十一月五日・岐阜日日新聞号外第三]
○大野郡加納村外八カ村の被害
村名
加納
五の里
下南方
郡家
上磯
下磯
本庄
丸潰
九
二八
二三
二〇
五二
一〇五
八二
半壊
二
二〇
四
三
四〇
二七
二三
即死
一
負傷
一
二
四
二
斃馬
一
一
西座倉
下座倉
七四
二二三
七
三三
三
五
五
五
[明治二十四年十一月十一日・岐阜日日新聞号外第三]
○大野郡豊木村被害の模様
同村は三百余戸の一村落なるが、今回の震災にて五十
余棟の住家を崩壊し、半ば以上の納屋小屋等を壊倒し、
二名の即死者を出したり。然れども一名の怪我人なか
りしは不幸中の幸いか、道路の割裂、溝渠の塡塞等少
なからずして、田面の如き噴出したる異様の土砂に埋
没せられたる所又少なきにあらず。殊に一見人をして
寒心せしむるは大宇野の内字谷口と称する所の坂下へ
堕落し来たりし大石にて、縦三間横弐間厚さ一間余あ
り。山腹より堕落し来りし跡を見るに、其の凄まじき
事身の毛も慄つ計りなりと。
○稲冨村外四ヶ村組合役場部内の被害
大野郡稲冨村外四ヶ村組合役場部内に於ける震災被害
を聞くに、道路・溝渠・溜池堤防等の被害実に夥多し
くして枚挙に遑あらず、殊に道路の被害最も多きは稲
冨地内八王子坂と称うる処にして、岩石の転落、土地
の裂潰旧形を失い、之を越えんとするには、山海の相
違こそあれ彼の越後の親不知子不知を過ぐる心地す
と、而して組合各村の被害を挙ぐれば左の如し。
村名
稲冨
上秋
古川
寺内
稲畑
計
全壊
八
七
五
七
三
三〇
半壊
一九八
七五
七二
七〇
一四
四二九
死亡
二
一
二
一
〇
六
負傷
五
五
九
一一
三
二四
[明治二十四年十一月十七日・岐阜日日新聞]
○村社境内生木伐採願
大野郡古川村字中平 第七百九十五番
一村社神明神社
境内反別七反九畝四歩 官有地第壱種
此の立木五百三拾四本
内訳
第壱類
桧弐本 但 目通二尺四寸ヨリ七尺回迄
杉壱本 但 目通九尺四寸回
雑木弐本 但 目通壱尺五寸回ヨリ二尺回迄
第弐類
第三類
第四類
松三百四十五本 但 目通壱尺五寸ヨリ二尺回迄
雑木二十四本 但 目通壱尺五寸ヨリ尺回迄
内
第五類
松百六十本 但 目通壱尺以下
右前書内書きの木数、本社及び井垣・拝殿・石垣等、
明治二十四年十月二十八日、古来未曾有の大地震にて
悉皆転倒或いは破壊に及び候に付き今回村民の有志を
募集候処、該修繕費に不足を生じ費途困難に付き、該
生木御検査の上御差し下げ成し下され度く此段別紙仕
様書相添え願い奉り候也。
明治廿六年二月二十五日
大野郡古川村氏子総代 大野半助
同郡同村 同 国枝甚兵衛
同郡同村 同 河野松右衛門
同郡同村 同 小森鉄弥
受持神官 浅羽 譲
岐阜県知事 小崎利準殿
前書の通り願い出候に付き奥印候事
大野郡稲富村外四ヶ村組合 助役 井深丑之助
仕用書
大野郡古川村村社修繕費
一金拾円 本社屋根修繕費
一金拾円 拝殿修繕費
一金五円 井垣修繕費
一金弐拾三円 石垣修繕費
計金六拾八円
右の通りに候也
[明治廿五年分明治廿六年上三ヶ月雑書]