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項目 内容
ID J3201055
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1861/10/21
和暦 文久元年九月十八日
綱文 文久元年九月十七日(一八六一・一〇・二一)〔陸前〕
書名 〔大内家日記〕○仙台市芋沢・赤坂「宮城町誌史料篇(改訂版)」仙台市「宮城町誌」改訂編纂委員会編H1・12・15 仙台市役所発行
本文
[未校訂]一、九月十七日之夜九つ時大地震に付人家之痛甚しき事
也、登米郡米岡深谷鹿又辺ハ丈夫成家共三四百軒程つ(づ)ゝ
打(ぶつこれ)これ、死人けか(が)人多し、涌谷ニ而も家中之居家百三十
軒余安芸殿居館打これ
右地震よりも供(洪)水ニ而痛ニ相成候事ハ咄ニも不成、目の当
所も無之、和淵ノ泥溜りニハ人馬之死骸ごみと共ニ埋リ居ハ
何百と云も数しれず
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 5ノ上
ページ 564
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 宮城
市区町村 青葉【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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