[未校訂]寛政四年壬子年 肥前国嶋原大変之写シ
主殿頭様御在所肥前国嶋原御城下三里程隔普賢山と申
山、当正月十八日夜ゟ致鳴動、御城下迄響申候所、右山
之内差渡シ三拾間程地窪之処有之、其内ニ穴明泥土夥敷
吹出シ、湯煙至而烈敷、小石砂利等煙ニ連吹上ケ申候、二
三日は同様ニ御座候処、右山次第ニ勢気和キ申候得共、
右近辺之山々地震鳴動強、所々ゟ追々湯煙吹出し、砂利
岩石等崩落申候、二月九日夜ゟ山焼甚震動強岩崩夥敷、
兎角焼下り申候、然ル処、去月朔日夜ゟ地震強、御城内
外迄も住居建具等外シ、平地幅壱寸程宛ひゞれ候所有之、
同三日迄同様ニ御座候、山焼も其節迄相鎮不申、鳴動も
強御座候、右之趣追々御用番様迄御届ケ御差出シ候ニ付、
右為御知被仰進候、此段御在所ゟ被仰付越候
四月朔日
(注、以下既出あるを以て省略)