[未校訂](退隱記)
五月三日 天晴暑気昼前強地震破壊少晩雲覆(中略)
田町にて地震にあふ北方より鳴轟とおほゆ四鼓□半過と云初終
ゆるく中強歩行不叶と云位也
扨明和四年丁亥四月七日去月廿六日震より強五鼓半能地震御庭走出
無障石碑倒高所ノ物落城府も破損多今日□損事稀ニ而立
□あり側室里ニ立入服を改めたり菓茶もてなされ毘
沙門堂通寺□与和尚談語菓茶出御神牌御墓所拝(中略)
地震ニ付翌日松本氏信任より書封而栄進信義にて三日塩釜神
祠参拜八幡住居之親戚ニ寓宿之処昨日震所々破壊高所の
物都而不墮ハ無之と申由也然者丁亥之震と同き歟所によ
り強弱ありと聞内江戸表も震□所聞御城中破壊
所々有之翌日諸□足輕彦七郎□に高田山御寄合石碑並承(カ)子
訴献之石燈倒れ火袋砕候由也石碑倒候而名代可上火袋砕御改作□被命保間寺も
壁も一両所損候由也