[未校訂]十二月十五日世子初て将軍家重に謁す。翌十六日申の刻
八戸に於て盆大の満月南方に出て、其色紅にして光線な
く酉の上刻に至、一大強震あり。山鳴り地烈けて人家土
蔵等の諸建物潰壊算なく、諸川漲溢して田畑を埋没し、
各所の堤防を破り、大橋新井田橋等の諸橋梁墜落して震
動尚お遏まず。翌十七日の暁天まで強弱震交々十七回の
多きに至り、朝来刻々震動を強め諸人恐怖して為す所を
知らず。唯其圧死を免れんと腐心し、各戸外に仮小屋を
結びて移居し、又は地上に板戸を伏せて之に倚る者多し。
是より先昨年七月下旬より井水涸渇し、本年三四月の頃
に至りても山野に雉子の声なく、却て朝夕小鳥の喧騒す
ること数回にして十一月より微震あり。
逐日強度を増し十二月に至ても遏まず、終に十六日の大
強震とはなれり。同十八日湊村に海嘯ありて一村騒♠(ママ)し
流破船七艘あり。久慈種市通の流破船十三艘堤防橋梁の
破損数ケ所なり。同二十九日領内の損毛莫大なる故鍛冶
橋門番を免ず。
(宝暦十三年正月)
同十九日小震あり。本日に至りて又々一大地震となり、
殿宇頽壊土居塀崩れ市中の家屋其他の建造物倒壊するこ
と旧冬に倍し、老若男女東西に遁走して天地に♠泣す
る。惨状目も当られず。
八月十八日大強震大洪水にて開藩以来未會有の大凶歉と
なれり。是より先二月初旬に又々強震ありて、湊村は海
嘯に襲われ家屋人馬流失多く、当時の気候は稍温暖なる
も天色朦朧として日光淡り三四月まで小震絶えず。
(七月)十日に強震