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項目 内容
ID J3200346
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月廿六日(一七五一・五・二一)〔越後高田・越後西部〕
書名 〔乍恐以書付を御注進申候御事〕○長野市下駒沢共有文書長野市公文書館 複2・165・009
本文
[未校訂]乍恐以書付以御注進申候行事
一家潰五拾軒
一半潰拾五軒
一無難分四軒
一手負 九人
一水内郡下駅沢村当□七ツ時大地震大変付先達而御役
人様御見分被遊下置候通り常時苗間種蒔之時節なく別
而難義仕候毎度より困窮村々御座候得ハ当秋作迄取続
き御拝借奉願上候御慈悲ニ大小百姓秋作江取続候様ニ取
極下置候ハヽ百姓御救と有難奉存候以上
寛延四年未五月
水内郡下駒沢村
名主 弥八
与頭 弥右衛門
百姓代 源六
浪岡彦四郎様
御役所
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 5ノ上
ページ 188
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 古里【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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