[未校訂] 宝永四年(一七〇七)一〇月四日[午|うま]ノ下刻に美濃大地
震、美濃国内において全半壊の家屋八〇〇戸余を数える
と言うが、この地方は、「当十月四日地震ニ付 潰家大破
小破 人馬損 怪我人無御座候」と、この地震被害の調
査に幕府が派遣した目付安部式部、坪内角左衛門ら一行
八五人に中津川宿が、書上げ提出しており被害のなかっ
たことを証明している。
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J3200180 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1707/10/28 |
和暦 | 宝永四年十月四日 |
綱文 | 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔伊豆~九州〕 |
書名 | 〔中津川市史 中巻 Ⅰ〕S63・3・1中津川市編・発行 |
本文 |
[未校訂] 宝永四年(一七〇七)一〇月四日[午|うま]ノ下刻に美濃大地
震、美濃国内において全半壊の家屋八〇〇戸余を数える と言うが、この地方は、「当十月四日地震ニ付 潰家大破 小破 人馬損 怪我人無御座候」と、この地震被害の調 査に幕府が派遣した目付安部式部、坪内角左衛門ら一行 八五人に中津川宿が、書上げ提出しており被害のなかっ たことを証明している。 |
出典 | 日本の歴史地震史料 拾遺 5ノ上 |
ページ | 125 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 岐阜 |
市区町村 | 中津川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
検索時間: 0.001秒