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項目 内容
ID J3200167
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔伊豆~九州〕
書名 〔三津羽田家文書〕沼津市明治史料館提供
本文
[未校訂](覚)C-49
(前略)
当月四日未刻五日卯之刻両度之地震ニ駿州富士本宮浅間之
社頭破損仕候段最前書付を以御届申上候右之外致破損候
所無之候哉とお尋□
村山浅間
須走同
郡内同
右三ヶ所社頭破損仕候由及承候へとも拙者共差而不相□場
所故様子不奉存候
一山之内なと崩候所ハ無之候哉と御尋□富士山ハ例
年六月中計登山仕候七月中西ゟ決而上り候訳不罷成候右
之通ニ御座候故崩候所有之候哉□此□様子曽而不奉
存候尤麓ゟ見申候而茂崩候場所ハ相見不申候
十月廿日 冨士長門
辻之坊□此度地震ニ付為御届出府仕候処ニ一昨十八日当
地発足仕罷帰候尤御月番鳥居播摩守様ゟ御差図ニテ罷帰
候由及承候以上
十月廿日
冨士長門
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 5ノ上
ページ 116
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村 沼津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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