Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J3200165
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔伊豆~九州〕
書名 〔身延町誌 資料編〕○山梨県身延町誌資料編編さん委員会編H8・3・31 身延町役場発行
本文
[未校訂]第一〇章 災害と普請
1 椿草里村宝永地震注進 宝永四年(一七〇七)
表紙
十月宝永四年地震御注進帳
亥十月 東河内領椿草里村名主 武兵衛
高五斗弐升四合一、寺長八間横五間 壱ヶ所 半潰 かや屋 妙椿山 本光寺
高五斗八升壱合一、長六間横四間 壱軒 居屋 皆潰 かや屋 久左衛門
高弐斗六升八合一、長四間半横三間 壱軒 同断 半潰 同断 久右衛門
高六斗六升弐合一、長五間横三間半 壱軒 同断 皆潰 同断 源右衛門後家
高六斗四升壱合一、長三間横弐間 居屋 壱軒 皆潰 かや屋 五郎左衛門後家
一、長三間横弐間 馬屋 壱軒 半潰 同 新左衛門
一、長三間横弐間 馬屋 同断 与一左衛門
一、道五町程ねかたへ出海ママ道山崩
一、大垈村へ出道三町程山くみ
一、畑拾町壱反三畝拾五歩の内
三町弐反歩程山くみ大石押込申候
一、刈生畑奥作毛一円無御座候
 右は当月四日・五日の地震ニて潰家相改書上ケ申所少
も相違無御座候、勿論人馬生類ニハ恙無御座候、為其連
判指上ケ申候、以上
宝永四年
亥十月
東河内領椿草里村
名主武兵衛
長百姓新左衛門
同与一左衛門
御代官所様
(松野弘一家所蔵)
【解説】
 宝永四年十月の大地震の被害届けである。この地震により
当地方も被害を受けたが、その約一ヶ月半後に富士山の大噴
火(宝永山が出現)があった。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 5ノ上
ページ 115
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山梨
市区町村 身延【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

検索時間: 0.003秒