[未校訂]貞観の地震と津波
九世紀後半に、仙台湾の沖合で推定マグニ
チュード八・六の地震が発生した。推定さ
れる震源地は東経一四三~一四五度、北緯三七・五~三
九・五度付近にあり、『[日本三代実録|にほんさんだいじつろく]』はこれを八六九年
([貞観|じょうがん]一一)五月二六日のことと記している。この地震
により、[多賀城|たがじょう](宮城県[多賀城|たがじょう]市)の城郭、倉庫、門、
土塀、壁などは大きく崩れ落ち、大きな被害を受けた。
この地震と同時に大津波が発生し、多賀城城下では多く
の[溺死|できし]者を出した。その惨状は想像を絶するものであっ
たことがうかがえる。
このときの津波による浸水範囲はおおむね第Ⅰ浜堤列
付近まで達したと考えられているが、多賀城城下の被害
が大きいことから、七北田川や名取川をさかのぼった津
波はさらに内陸部まで達したものと考えられる。当時の
仙台平野の海岸線は、現在地表で求められる第Ⅱ浜堤列
と第Ⅲ浜堤列の中間付近にあり、当時の海面は現在とほ
ぼ同水準にあったと考えられる。