[未校訂] 安政の地震と風損 安政二年(一八五五)十月二日夜
江戸を襲った大地震は、今日「安政の大地震」として知
られている。安政大地震の町域での被害の状況について
は土蔵が壊れたことが確認されている(「乍恐以書付奉歎
願候」岡安家文書)。しかし、詳細については明らかでは
ないが、日光道中筋の宿村に被害が大きかったというの
で、町域にも潰家同様の家もあったと思われる。
このとき、仮の年貢割付状(仮免状)を受け取りにた
またま江戸へ出ていた須賀村新田の中村浅右衛門から、
中島村岩崎文治郎へ宛てた書簡があるので、その文面を
みてみよう(「地震大地荒われ目墨引きニ付書状」岩崎家
文書)。
十月二十一日の日付で「地頭所様江地震大地荒之旨、
[逐一|チクイチ]三ケ村共古利根川縁付耕地之趣意柄申立候得者、右
躰大地荒等茂有之候ハヽ、そば粉献上之砌三ケ村申合小
絵図ニ相認メ、少々之われ目たり共、墨引いたし可申立
置候、尤麦作仕付置場所ニも可有之候間、時節後レニ不
相成様仕付者精々致不苦旨、是又被仰聞」とある。旗本池
田氏から、大地荒れを調査し、小絵図を作成するよう指
示が出された。少々の割れ目であっても墨引きせよとし
ている。また、古利根川縁の耕地が麦作を行っていたと
ころであることから、種蒔きが時期遅れにならないよう
にとの注意もあった。この書状からは、江戸での被害や
町域での被害など具体相を知ることはできないが、地震
に遭遇した後の領主と村民のやりとりを知ることはでき
よう。その後、旗本の役人が十一月中旬に行われる予定
の常州廻村のついでに見分に立ち寄るかどうか、調査の
報告を聞いて、判断することになっていた。
安政の大地震の翌年八月二十五日夜半、辰巳(南東)
の強風が吹き荒れた。これにより、関東地方は風損・水
損の被害が生じた。田畑冠水だけでなく、家屋倒壊の被
害も大きかった。(下略)