Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J3000950
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔二四、津浪の被害〕倉本為一郎編「尾鷲市海洋文化」S31・5・20 尾鷲市立中央公民館発行
本文
[未校訂]海!海!海!
海ほど変化の大きいものはない、春の海ひねもすのたり
〳〵哉、如何にもゆつたりと鏡の面に等しい時があるか
と思えば、一朝にして怒を生じ、山よりも高い浪が大船
巨船を沈め、多くの人命を底深く吸い込んでしまう、殊
に津浪となると其の被害が極めて大きく又範囲は広い、
人家を嘗め去り、田畑を洗い崩し、村を呑んで一物をも
残さず流してしまう、海の熊野!そこには昔から文化の
花も咲いた、然し一面には津浪の洗礼を受けて文化の跡
を破壊した事も、亦幾十度か知れぬ程である、地震や津
浪の記録として残つているのは、安政元年のものが一番
多い、念仏寺の記録、『津浪や来ると評議しける事半時に
はたらざるに、此沖の投石島より半町も沖とおもふ海面
より潮の湧出るありさま、あかみをおひて追々潮かさあ
がり、在中は海となり、廻船漁舟町内へ流込み、潮の指
引三四度有り、川筋堀通りへ潮の遡る事甚しく、土手も
見えず、東の沖を見れば廻船数艘順風にて帆をあげ、沖
を渡りぬれば、大洋より大浪の来るにはあらず、漁師の
いへるには、大曾根浦前弁財天の島あたりに、船を流し
見合居るに、地震はゆるやかになると、ひとしく四斗樽
程の水のかたまり爰かしこに数くわい湧出る故逃帰れり
と、大浪の打あがるにはあらず、潮重上りて平常よりも
二丈位も高く上る』云々と記している。
 浪の高さは土地によつて違いがあるが、賀田の小川の
傍に立つていた指道標の裏にも、『安政元年十一月四日津
浪高さ二丈』と書いてあつた、色々の古書から想像する
と、此の附近沿岸の浦々では、大抵一丈五尺から三丈位
迄上つたらしい、宝永の津浪は更に三尺四五寸高かつた
と思われるから、大したものであつた。古書から探り得
た被害の模様を記すことにする。
一、曾根之家皆潰れ申候(徳田又右衛門書簡)
一、曾根浦は六分通り流失の由(地震洪浪記)
一、梶賀浦は十軒余り流失之由(同書)
一、当浦浜際の家より奥・向井にて十一軒流失致し人間
には別条無之事(倉本為一郎所蔵年代記)
一、嘉田村は八分通流失と覚候(地震洪浪記)
一、浪高き宝永の津浪より凡三尺四五寸ひくし、浪打留
井調の車、稲荷の社殿迄浪乗寿津古渡所迄浪来る、鉄
砲頭、大川谷家一軒も不残流失に相成申、浪始めはや
はらかにして治、大につよく入来、其様荒々舗嘉田村
家数百六十一軒此人数八百二十五人津浪流家七十三軒
此人数三百五十五人半潰二軒有之流死人六人(田中又
一郎所蔵記録)
一、古江浦は海辺は石垣等破損候へ共人家に格別の障も
無之候(地震洪浪記)
一、三木里は七分通流失(同書)
一、三木里浜辺之家皆流(徳田又右衛門書簡)
一、三木浦は海辺の人家へ水入候へ共流失無之候間、先
無難同様(地震洪浪記)
一、早田浦は八分通流失の由(同書)
一、九木浦戸数百六十戸人口六百五十人内流失二十七戸
半流失六十三戸浪入二十七戸(安政海嘯景況上申書)
一、九木浦は人家へ潮水溢れ候へ共格別流失無之由(地
震洪浪記)
一、尾鷲浦八百軒許之処百五十軒残り其余流失、溺死五
百人余(徳田又右衛門書簡)
一、尾鷲千軒余の処、三十軒程残り、九百七十軒流失死
人二百人許、浜中八良兵衛土蔵二ヶ所残る(森本佐兵
衛諸国地震変異録)
一、尾鷲家数千五百軒之所八郎兵衛三階土蔵一ヶ所残り
外土蔵・寺は不残引込まれ死人凡三百五十人(水島七
郎新古見聞覚)
一、今日の荒方尾鷲浦死人凡三百四五十人(坪田美登地
震記録)
一、戸数壹千〇六十四戸人口四千五百三十三人内流失六
百八十二戸半流失七十一戸半潰十九戸浪入三十戸死亡
百六十二人外旅人死人三十六人(安政海嘯景況上申書)
一、尾鷲人家不残流失死人八百人有之様子(山崎氏不事
控)
一、尾鷲は熊野第一の荒村にて人家千軒余も流失且夥敷
諸人流死いたし凡人物知れ候筋四百人も有之由手分死
骸相尋有之候趣に御座候(地震洪浪記)
一、尾鷲甚しく家居悉く流れ三百五十軒計り死亡(校定
年代記)
一、流死人百四五十人外十三人旅人(念仏寺記録)
一、尾鷲甚敷家蔵流れ三百五十人死亡(新宮町雑記)
一、須賀利戸数百二十戸人口四百七十三人内流失二十四
戸浪入四十一戸、破損三十一戸死亡二人(安政海嘯景
況上申書)
一、須賀利不残引込まれ(新古見聞録)
故寺田寅吉博士は、『災害は忘れ時に来る』と云われた
が実に名言である、海の熊野に住む人々は、次に襲来す
る津浪に就て、其の備えを充分にしておく事が必要であ
る、何十年かの後に必ず津浪の来る事を忘れてはならな
い。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 947
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県
市区町村

検索時間: 0.002秒