[未校訂]ころハ嘉永七とらどし六月十四日の子うしのこくやつど
きごろおわり・いせ・あふミ・ミの四かこくおヽ志しん
の志だいとうかいどうすじなるミ志ゆくミや志ゆくなご
やかいどうハいハつかばんばかもりさや志ゆくつしま五
づてんわかものとも此日御さいれいにておゝこんざつど
うし子ハじいんその下かまちやハもうすにおよばすあい
たおれ候またきたのかたいいぬやま小まきへんミなミの
かたいのまうつミもろさきへんまてさや川のにしいせの
くにはながしまくわな四かいちおゐわけへんのこゝ□あ
いくつれ候そのうへ出火にあいなり志にんけがにんあま
たなりおなじくいしやくしせうのかめやませきさかの下
志ゆくへんのこゝ□あふミのくにはつち山ミなくちいし
べ志ゆくへんにしきたハミのゝくに大がきなんくうたか
すかしはばらさめがいたかミやゑち川むさへんまでその
ほかにしきたのやまもうすにおよばすたいはんおヽしん
とうにてくづれ候もつとも十五日あけ六ツはんごろにや
う〳〵志づまり候それより日々志やう〳〵づゝ之ぢしん
これあり候ここんまれなるおゝぢしんゆえにあらましを
かきしるし志子にヽんあんどのためかきしるし志ろしむ
るものなり
(注、図は五八六―五八七頁にあり)