[未校訂]大変事承り之場 下々之言事
京都内裏様御焼失
大坂 御城石垣謂無之崩、尚又地志(震)んニ而御堀崩ル由
伊勢 太神宮様地震ニ而相潰之由、但し是節而已之事与後ニ承
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但し四拾里程之場大地震之由
江戸淀橋 焰硝蔵焼失之由
尚又♠(異)国艘(船) 拾八艘来り之由
江戸 拾人衆五人衆与言阿(あ)り
但し拾人衆江御用金三千五百両ツヽ五人衆江金五
千両ツヽ
右被仰付候之由、其外夫々被仰付江戸始リ而無之
土佐様御家中
東海道ニ而四十人程地震ニ而歟死、馬壱疋旦那壱人
斗り残り候由ニ承リ候
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J3000853 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1854/07/09 |
和暦 | 嘉永七年六月十五日 |
綱文 | 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕 |
書名 | 〔玉村町誌 別巻Ⅵ 三右衛門日記(三)〕○群馬県玉村町福島玉村町誌刊行委員会編H10・3・31 玉村町発行 |
本文 |
[未校訂]大変事承り之場 下々之言事
京都内裏様御焼失 大坂 御城石垣謂無之崩、尚又地志(震)んニ而御堀崩ル由 伊勢 太神宮様地震ニ而相潰之由、但し是節而已之事与後ニ承 リ 但し四拾里程之場大地震之由 江戸淀橋 焰硝蔵焼失之由 尚又♠(異)国艘(船) 拾八艘来り之由 江戸 拾人衆五人衆与言阿(あ)り 但し拾人衆江御用金三千五百両ツヽ五人衆江金五 千両ツヽ 右被仰付候之由、其外夫々被仰付江戸始リ而無之 土佐様御家中 東海道ニ而四十人程地震ニ而歟死、馬壱疋旦那壱人 斗り残り候由ニ承リ候 |
出典 | 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上 |
ページ | 585 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 群馬 |
市区町村 | 玉村【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
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