Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J3000821
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔加茂町史第二巻近世編〕加茂町市編さん委員会編H3・2・20 加茂町発行
本文
[未校訂] 嘉永七年六月十四・十五日、近畿・東海地方にかけて
大地震が発生した。この大地震の被害を報じた「山城・
大和・江州・勢州・三河・越前聞書大地震[并|ならび]ニ出火の次
第」と題する[瓦版|かわらばん](『中井完悦氏所蔵文書』、写180)によ
れば、南都は町家の大部分が倒壊し、死者三五〇人、負
傷者は数知れずという状況で、藤堂藩の奉行所所在地で
ある和州[古市|ふるいち](奈良市古市町)については「同日同刻の
大地震ニて、池われ、人家多分くづれ、死人六十七人、
けが人数しれ
ず、のこる家数
三軒ばかりより
これなく義ニ御
座候」と記して
おり、その被害
はきわめて甚大
なものであった
と考えられる。
この大地震によ
って、加茂郷に
おいてもかなり
の被害を出して
おり(表67)、こ
れら被害をうけた人々に対して、藩は救金および農具料、
飯料を[下行|げぎょう]している(『観音寺区有文書』)。
 この大地震によって、古市村が壊滅的打撃をうけたこ
とはさきにみたが、その復旧に際して八月以後[灯明寺|とうみょうじ]山
の木材が伐採されて運ばれたようで、加茂郷の農民はそ
の木材運搬のための人足に徴発されている(同前)。また、
伊賀[上野|うえの](三重県上野市)もかなりの被害をうけたが、
このとき[常念|じょうねん]寺の本山である[西蓮|さいれん]寺の本堂その他が大
破したため、その再建にむけて常念寺の檀家に寄付をつ
のっている(『常念寺文書』)。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 552
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 加茂【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

検索時間: 0.003秒