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項目 内容
ID J3000256
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1718/08/22
和暦 享保三年七月二十六日
綱文 享保三年七月二十六日(一七一八・八・二二)〔信濃〕
書名 〔天龍村史 上巻〕○長野県天龍村史編纂委員会編H12・11・24 天龍村発行
本文
[未校訂]享保三年の地震
七月二十六日発生のこの地震は、信
濃南部を震源とし、マグニチュード
六・四と推定される。
 とくに遠山地方の被害が甚大であった。和田では盛平
山の西方の一角が崩れ落ち、多量の土砂岩塊を押し出し
て遠山川を堰とめ、分離した山を作った。出山である。
遠山川は湖水となって一時に決壊して濁流となって下
り、広い河原をつくった。
 飯田領内でも城内の塀・矢倉・石垣等が大破し、潰家
三五〇軒余、半潰五八〇軒余、死者一二人、怪我人多数
であった。
 鶯巣村では八月四日付で、次の注進を上げている。
乍恐以口上書御注進申上候、(鶯巣宏重氏文書)
一当七月廿六日八ツ時大地震仕、本村・枝郷共ニ山谷
崩レ、百姓居屋敷並田畑石垣等不残崩レ大分破損
仕候、勿論村中ニ而男女弐捨人余怪我仕候内七人死
申候、
一六月下旬ヨリ日照ニ而尓今少も雨降り不申作毛大
分焼枯レ、其上少々相残り申候も地震ニ而山崩レ
仕、方々傷ミ申候故、一円実入申間敷と迷惑仕候、
右之通早々御注進可申上儀ニ御座候所、折々山谷崩
レ申候ニ付、近村へ通路不罷成延引仕、今日御注進仕
候、委細之儀ハ追而可申上候、以上
享保三年戌八月四日
信州伊奈郡鶯巣村名主 甚右衛門㊞
組頭 善四郎㊞
同 苻左衛門㊞
同 三郎右衛門㊞
長百姓 与次右衛門㊞
御代官様
 百姓居屋敷・田畑石垣が残らず崩れ、二〇人が怪我、
死者七人という悲惨さの上に、日照り続きのところへ山
崩れで、一円実入りがないという二重災害であった。道
路も決壊しているので代官所への報告もおくれたのであ
る。
 別紙にあるが、満島番所も被災したので、代官所から
普請金を下げ渡されて新築している(満島番所の項参
照)。
 坂部村では、「熊谷家伝記」に、彦兵衛妻があさぶにて
死亡し、佐太村から大谷まで五〇人余が石に打たれて死
んだとある。村では代官所から扶助米一石六斗五升をも
らい分配したらしい。他村でもかなりの被害があったで
あろう。
 享保の地震は、当村のこのような被害の大きさから、
永く歴史に残るものである。
四 享保の遠山地震
 遠山地震は当地方で発生した直下型地震である。被害
は甚大であった。震央は南信濃村木沢付近と推定する。
起震断層は中央構造線と遠山川断層である。断層破壊は
北から南へ移動した。和田から遠山川断層へも破壊が分
岐し、満島地区や坂部・富士地区まで被害が及んだ。
 地震の発生は享保三年七月二十六日(八月二十二日)
一四時過ぎ、規模はマグニチュード六・四である。この
地震で南信濃村では盛平山が崩れて遠山川をせき止めて
いる。崩れた土砂は和田小学校の裏の稲荷社がある梅林
の山になって残っている。山麓の龍渕寺本堂は大破した。
青崩峠では峠の北斜面と東斜面が崩れている。峠にあっ
た青崩神社と鳥居が崩壊した。遠州方面にも大きく揺れ
た。この地震についての調査報告は市村咸人(遠山峡谷
に出山をつくりたる享保地震資料、一九三三)に詳しい。
 満島地区では遠山実文書がある。地震による山崩れで
満島御番屋が石垣・建物ことごとく破壊した。番屋の象
徴である衝棒・刺又・袖からみも折れた。
 満島での聞き込みでは、天龍小学校の裏手にある大沢
が大きく崩壊した。今でも大沢は豪雨の度に崩れてきて
十方峡トンネル出口に土砂が氾濫するこどがある。
 坂部から三河大谷にかけての被害は『熊谷家伝記』に
よる。「坂部村の彦兵衛妻があさぶにて死、與平次妻はは
らびようにて死。佐太大谷まで五〇余人(当時の人口の
約一割にあたる)が石に打たれて死す」とある。
 これは大きな災害である。石に打たれるというのは跳
び石にあたっての死亡である。直下地震では地震動によ
る加速度が重力加速度以上になって、大きな岩石が飛び
出したり、跳ね上がったりする。飛び出した岩石が斜面
を転がってきたり、空中を飛んできたりする。
 中央構造線から遠山川に沿って分岐している遠山川断
層が坂部方面に向かって破壊が進み、その末端部では、
さらに分岐した断層から衝き上がってきた加速度によ
り、天竜川沿いの急斜面にあった岩石が飛び出して土砂
降りの雨のように人・家・家畜をおそったものと考えら
れる。
 遠山地震の時、鶯巣で死者七人の古文書がある。鶯巣
の枝郷を合わせて山や田畑石垣残らず崩れ、家屋敷破壊
して二〇人余の怪我人が出て内七人が死亡とある(近
世・享保三年の地震参照)。
 遠山地震の震源断層の一つは遠山川断層である。本断
層の末端部である天龍村では多くの死者や地盤災害が発
生した。主断層は遠山川に沿い、折立―満島―鶯巣―福
島へ延び、分岐断層はショノレなど、幾条か予想できる。
(注、次頁、次々頁の写真参照)
121 遠山川断層の断層破砕帯が崩れて生じた
折立の集落。正面に断層鞍部が見える(↓印)
122 折立から林道を登り、断層鞍部を越える
と破砕帯がある
123 写122の拡大。古い断層ガウジ帯ガウジ内
には剪断センスを示す非対称構造が観察で
き左ずれ変位を示す
124 早木戸川にのびる遠山川断層。的瀬に露出す
る破砕帯中に発達する新期断層面(↓印)
125 写124の近写。やわやわ粘土からなるガウジ
帯。幅50~60㎝
126 断層面にある条線。ほぼ水平。断層面はN56
E、86NW
127 的瀬の新期露頭に近接して、花崗岩中に破砕
された脈がいく条も発達する
128 的瀬の新期露頭から両側に50m余までは古い
断層が何本も見られる
129 写128の近くにある古い断層のひとつ
130 的瀬の新期断層は破砕帯が侵食され、小さ
な谷となり、尾根(鞍部)を越えヨシガ島沢
へぬける
131 ヨシガ島沢は直線にのびて神原地区の芝
沢上流へぬける鞍部を連ねている
132 向方から峠山へ登る林道では850m地点の
鞍部に破砕帯がある。ここは変成岩で、細粒
花崗岩の岩脈が入る
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 191
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 天龍【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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