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項目 内容
ID J3000257
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1718/08/22
和暦 享保三年七月二十六日
綱文 享保三年七月二十六日(一七一八・八・二二)〔信濃〕
書名 〔三州渥美郡馬見塚村渡辺家文書愛知大学綜合郷土研究所資料叢書第二集〕愛知大学綜合郷土研究所編S54・5・15愛知大学発行
本文
[未校訂](享保三年萬書込日記)

昨日之地震ニ而向山大堤百間程われ申候 ゑみ口四寸程
御座候 其儘捨置申候ハヽ ゑみ口へ水入候ハヽ如何敷
御座候 間乍御太儀何茂今日中ニ御出被成御見分被遊人
足御積明日早々御繕御尤ニ奉存候 為其如此ニ御座候
以上
七月廿七日 仁連木村 六右衛門 弥八
羽田村野田村三相村馬見塚村
吉川村
右村々御庄屋中様

一人足五人 野田
一同三人 馬見塚
一同七人 羽田
一同六人 仁連木
一同弐人 三相
一同弐人 吉川
一同三人 花ケ崎
右者人足鍬もつこ為持明廿八日早天ニ向山大堤迄村々ゟ
組頭衆人足相つれ御出堤われ口御繕可被成候 少々雨ふ
り候共御出可被成候 以上
七月廿七日 野田
右村々御庄屋中
昨日之地震ニ付其村々人馬家居溜池堤等別条無之候哉
有無之注進今日中早々可被致候 惣而ケ様之変之(マヽ)節者注
進可有之事ニ候 此廻状刻付ニて早々相廻し可被申候
以上
七月廿七日 吉野運八
新銭町 羽田村 野田村 三相村
吉川村 馬見塚村 高須新田 牟呂村
花ケ崎村 橋良村 小浜村 冨田新田
草間村 松井新田 芦原新田
右庄屋中
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 196
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛知
市区町村 牟呂吉田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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