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項目 内容
ID J3000236
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔牛窓町史 通史編〕○岡山県牛窓町史編纂委員会編H13・3・30 牛窓町発行
本文
[未校訂]次は宝永四年(一七〇七)十月四日で、富士噴火の年
である。「平島家日記」は「十月四日八つ時分(午後二時)
より大[地震|ない]、新田を[揺|ゆ]りめぎ百姓共迷惑」と記す。「神崎
村記録」はより詳しく、「十月四日大地震、家[潰|つぶ]る。九(ママ)月
迄一か月二三度づゝゆり[無止|やむことなし]。土蔵不残潰れ、大風雨、
高潮、常の潮より高きこと五尺余」と記し。被害が大き
かったこと、余震が長く続いたこと、大風や高潮を伴っ
たことを詳しく伝えている。また『池田家履歴略記 上
巻』には、地震の時家に居た人は勿論、道行く人も歩行
が出来ない有様、殊に城下の西大寺町の道は幅一尺ばか
りの亀裂を生じ、泥が中から沸き出したと記している(六
二〇頁)。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 180
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岡山
市区町村 牛窓【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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