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項目 内容
ID J3000193
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日(一七〇三・一二・三一)〔関東〕
書名 〔日本農書全集66 災害と復興1〕古山豊他校注・執筆一九九四・四・二五 豊山漁村文化協会発行
本文
[未校訂](高崎浦地震津波記録)長井杢兵衛著
(注、「新收」第二巻別巻一七九頁以下にあり、省略、し
かし次の注と図は役に立つので掲げることとした)
(1) [天赦日|てんしゃにち] 暦注の一つ。万事に障りなしという吉日。
(2) はり 梁。柱の上にはり渡し、上に[束|つか]やさす(注5
参照)をおいて屋根を支えるための横木。上部の重み
を支えたり、柱を強固にしたりするために用いる。
(3)戌の年 一八年前は戌年ではないので、二一年前
の天和二年のことか。
(4) [貫|ぬき] 柱と柱とを横に貫いて連ねる材。これにより
丈夫な建物になる。
(5) さす [扠首|さす]。[切妻|きりづま]や[入母屋|いりもや]のつくりで、はりの上に
二本の材を合掌形に組み合わせ、中央に束を立てた
もの。
(6) しきけた [敷桁|しきけた]。壁の上部に柱の上部を連結して
おくけたで、小屋はりまたは[根太|ねだ]などの端を受けて
支えるもの。
(7) ねだ木 根太木。床板を受けるために床下に渡す
横木。
(8) [牛頭天王|ごずてんのう]様社中 現在の千葉県安房郡富山町高崎
の岩井神社を指す。現在、海岸線から八五〇メートル
高崎浦津波による被災地域
津波浸入推定区域
JR内房線
富山町役場
大川
岩井川
久枝川
被害者・地名・寺社名
(場所の判明するもの
だけ載せた)
①五兵衛
②長左衛門
③甚五兵衛
④利右衛門
⑤名主弥兵衛殿宅
⑥勘兵衛
⑦勘左衛門
⑧久五郎(明治までの屋敷跡)
⑨木倉十右衛門
⑩市郎左衛門
⑪久五郎(現在地)
⑫青木又兵衛
⑬庄作
⑭長井(永井)宅
⑮午頭天王(岩井神社)
⑯円正寺
⑰谷口小丹の屋敷倉下
⑱清水
⑲寿薬寺
⑳光泉寺跡
㉑([湯浴堂|ゆあみどう]跡薬師堂跡御妙堂跡
㉒現在㉑の3堂が合祠され,
「湯浴堂」となっている。
の位置にある。牛頭天王とは、もとインドの[祇園精|ぎおんしょう]
[舎|じゃ]の守護神で、疫病よけの神として祭られる。
(9) 薬師堂 高崎浦南部のJR内房線が通っている山
裾にあったといわれている。現在は、[湯浴堂|ゆあみどう]、[御妙|みみょう]
[堂|どう]と[合祀|こうし]されている。地図参照。
(10) 香坊 不詳。
(11) みミやう堂 御妙堂。旧跡は薬師堂の近くにあっ
たが、現在は、薬師堂、湯浴堂と合祀されている。地
図参照。
(12) 上須加 高崎浦の小字名。現千葉県安房郡富山町
内。
(13) 船形村 高崎浦(現富山町)の南方、館山市に隣接
した村で、現館山市船形。
(14) 地頭 江戸時代、「地頭」は[地方|じかた]知行を持つ幕府の
旗本の通称であった。また、一地域の領主の俗称でも
あった。
(15) 種井戸 種もみをつけて芽出しさせる池。
(16) なよし ぼらの幼魚、いなの別名。
(17) [椀|わん]かく 椀家具。椀、[膳|ぜん]、[折敷|おしき]、重箱など、うるし
塗りの食器の総称。
(18) 宮田 高崎浦の小字名。現千葉県安房郡富山町内。
(19) 高崎 岩井河口部左岸に位置し、西は東京湾に臨
む。現千葉県安房郡富山町内。
(20) 大織 大敷網か。
(21) 浦請ケないや 浦請とは、漁業を網元など個人で
はなく、浦全体で行ない、租税を払う制度で、浜に共
同の漁具を入れておく小屋があった。ないやは納屋。
(22) くろ鯛嶋 不詳。
(23) がる嶋 不詳。
(24) 式文に善…… 『延喜式』の文中の語か。
(25) 丈 長老または朋友の称。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 63
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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