[未校訂] 『多賀村郷土史』鶴岡八幡神社の項に「文禄四年(実は
五年のこと)閨七月九日[戌|いぬ]の刻、震災の為壮大な宮殿・
宝殿・神器・記録に至るまで[悉|ごとごと]く傾倒して地中に陥没す
る」とある。その当時、神社は北条と新田の境の[鳥縄|とりなわ](穂
の木)と呼ばれる場所に鎮座していた。それを海岸より
離れた現在地に遷し、社殿を復旧したと記されている。
また、広江村の「密林寺徳蔵寺由来記」の中には、こ
の大地震により村の家屋や寺も地盤沈下したので、高い
現在地に、村を[挙|あ]げて集団で移転したと記されている。
この二つの記録から、北条村や広江村などの軟弱な水
田地帯は、亀裂や地盤の陥没が生じ、壊滅的な被害を受
けたことがわかる。