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項目 内容
ID J3000029
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/01
和暦 文禄五年閏七月九日
綱文 慶長元年閏七月九日(一五九六・九・一)〔豊後〕
書名 〔多賀郷土誌〕○(愛媛県)H16・4・1 多賀郷土誌委員会編・発行
本文
[未校訂] 『多賀村郷土史』鶴岡八幡神社の項に「文禄四年(実は
五年のこと)閨七月九日[戌|いぬ]の刻、震災の為壮大な宮殿・
宝殿・神器・記録に至るまで[悉|ごとごと]く傾倒して地中に陥没す
る」とある。その当時、神社は北条と新田の境の[鳥縄|とりなわ](穂
の木)と呼ばれる場所に鎮座していた。それを海岸より
離れた現在地に遷し、社殿を復旧したと記されている。
 また、広江村の「密林寺徳蔵寺由来記」の中には、こ
の大地震により村の家屋や寺も地盤沈下したので、高い
現在地に、村を[挙|あ]げて集団で移転したと記されている。
 この二つの記録から、北条村や広江村などの軟弱な水
田地帯は、亀裂や地盤の陥没が生じ、壊滅的な被害を受
けたことがわかる。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 29
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村 多賀【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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