[未校訂]天正の巨大地震
歴史記録に残っているわが国最大の
直下型巨大地震は天正十三年(一五
八六)の地震である。天正地震は複数の断層が連発して
破壊し稀にみる大規模な内陸直下地震が起きた。震源地
は岐阜県西部から愛知県中部の広範囲におよんでいる。
震源断層は飛驒の御母衣断層や伊那谷に隣接する阿寺断
層があげられるほか濃尾平野西縁―伊勢湾の断層も可能
性がある。地震とともに白山・焼岳も噴火している。
『熊谷家伝記』にはこの地震の様子が劇的に書かれてい
る。師走の初めにズドーンと山が揺れだした。新暦では
十一月二十九日である。大きなゆれが止むことなく続き、
正月を迎えても止まらない。危なくて山や畑に行くこと
もできない。困り果てた坂部では諏訪社に二五の小社を
建て、神よ、霊よ鎮まれと祈ったが、地震は止むどころ
か一年余続いた。とうとう翌年の正月まで揺れ続いた。
年が改まり、ようやく鎮まってきて村人が安堵してい
たとき、家々で正月の供え餅が無くなるという珍事が発
生した。村人が寝ずに見張っていたら赤いイタチの仕業
とわかり、雪に着いた足跡をたどると、村から山手に三
〇〇メートルも登ったところにできた割れ目に消えている。そ
こで、地割れを七メートル掘ったところすごい勢いで湯が噴き
出してきた。
坂部は急斜面に囲まれた尾根の上にあり、ガラ石の下
はすぐ基盤岩で井戸は掘れない。谷水を汲み上げるか、
遠くから沢水を引いてこなくてはならなく、極めて水便
が悪い。このときイタチが教えてくれた泉への感激は大
きかった。「イタチ水」と、今も呼ばれており集落まで引
いてきて家々で使っている。二五社の祭りも続けられて
いる。