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項目 内容
ID J3000023
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸國〕
書名 〔天龍村史 上巻〕○長野県天龍村史編纂委員会編H12・11・24 天龍村発行
本文
[未校訂]天正の巨大地震
歴史記録に残っているわが国最大の
直下型巨大地震は天正十三年(一五
八六)の地震である。天正地震は複数の断層が連発して
破壊し稀にみる大規模な内陸直下地震が起きた。震源地
は岐阜県西部から愛知県中部の広範囲におよんでいる。
震源断層は飛驒の御母衣断層や伊那谷に隣接する阿寺断
層があげられるほか濃尾平野西縁―伊勢湾の断層も可能
性がある。地震とともに白山・焼岳も噴火している。
 『熊谷家伝記』にはこの地震の様子が劇的に書かれてい
る。師走の初めにズドーンと山が揺れだした。新暦では
十一月二十九日である。大きなゆれが止むことなく続き、
正月を迎えても止まらない。危なくて山や畑に行くこと
もできない。困り果てた坂部では諏訪社に二五の小社を
建て、神よ、霊よ鎮まれと祈ったが、地震は止むどころ
か一年余続いた。とうとう翌年の正月まで揺れ続いた。
 年が改まり、ようやく鎮まってきて村人が安堵してい
たとき、家々で正月の供え餅が無くなるという珍事が発
生した。村人が寝ずに見張っていたら赤いイタチの仕業
とわかり、雪に着いた足跡をたどると、村から山手に三
〇〇メートルも登ったところにできた割れ目に消えている。そ
こで、地割れを七メートル掘ったところすごい勢いで湯が噴き
出してきた。
 坂部は急斜面に囲まれた尾根の上にあり、ガラ石の下
はすぐ基盤岩で井戸は掘れない。谷水を汲み上げるか、
遠くから沢水を引いてこなくてはならなく、極めて水便
が悪い。このときイタチが教えてくれた泉への感激は大
きかった。「イタチ水」と、今も呼ばれており集落まで引
いてきて家々で使っている。二五社の祭りも続けられて
いる。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 27
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 天龍【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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