[未校訂]明治二九年(一八九六)六月一五日一九時三二分 三陸は
るか沖 M七・六〔三陸津波〕
震害はなかったが、地震の三五分後に大津波が三陸沿
岸に来襲、津波の高さ八戸三メートル、種市九・一メート
ル、県内死者三四三、家屋流失六〇二、家屋倒壊二六四、
船流失破壊三二九。
(六ヶ所村の状況、風北東風、静かなる夜、雨静かにして
モヤかかり、浪音なくして、浪土手まで上り、小舟流れ、
十四、五艘割れ、シビ漁船並に小田野沢船七、八杯浜に
上り、村中大いにあわて、人々怪我なし。(秋中文書「地
浪記」より)この他村沿岸では納屋などに置いた漁具が
ほとんど流された。)