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項目 内容
ID J2901907
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1891/10/28
和暦 明治二十四年十月二十八日
綱文 明治二十四年十月二十八日(一八九一)〔濃尾〕
書名 〔歳分日誌長枕夢の八ちまた 廿四〕○揖斐郡池田町沓井岐阜県歴史資料館蔵 阿子田昭家文書B10-(6)-6
本文
[未校訂](注、地震見舞の記事は省略する)
同廿八日 快晴 (中略)朝旧五ツ時大地震家屋倒ルヽ
ばかり也
朝午前九時二十分今朝大地震ニテ家屋矢根瓦或はかべ
大破損ニ付(薬師寺和尚義文)見舞として来ル
当家土蔵大破二ヶ所共外ニ裏門并土壟ママ十間程倒レ□本
□所の壁大破也
十月廿九日 快晴
朝午前九時地震ニ付倒もの前々より片付之(略)今午後
四時此度震災ニ付本家弐□土蔵倒家共矢根瓦くるい或
は落損し候□直し方たのみニ行候へ共矢根の上ノ仕
事ハ断り申候
同丗日 快晴
朝午前九時地震ニ付被損ノ土蔵矢根瓦ふせ直し 又落
損したるかべ土替□
○今度ノ大地震ハ美濃国ノ災害ニテ根尾谷が本ノよし
同谷十一ヶ村 所の地面五尺下り上丈三丈餘も落込人
畜死亡家屋倒潰レ数しれず 大垣町ハ五六百名ノ死人
千人余ノけが人全潰家七百余戸半潰ハ員しれず其上大
分焼失ノよし 岐阜町内も前同断死人二百五六十人け
が人員不詳家屋全潰夥しく其上焼失二千戸ニ及ブよし
笠松町家屋全潰丸焼ノよし
同丗一日 快晴
朝午前八時三四十分大地震破損
大垣ハ半分位焼失全町□相成り死人五百六七十人けが
人千人餘のよし
十一月一日
此度大地震ニ付岐阜市家屋大破轉倒焼失
岐阜市者○岐阜ト唱へ候場所よろしき分大半焼失其時
も倒家夥しく今(カ)崎氏も本宅倒レ其上□座舗もたをれ
しのミ土蔵も半潰レノよし 家内のものいつれも怪我
ハ無□夫故焼失七百餘死人二百五六十人倒家数しらず
(後略)
同二日 快晴
龍徳寺も本堂庫裡大破堂宇かたぎ 経堂もかたぎ土蔵
極大破のよし 池(他カ)の町倒家七十餘戸半倒レ百戸余ノよ
し(中略)此度ノ大地震中津川に而は安く震害もなく
いつれも無㕝ノよし也
同三日 快晴
朝午前九時三十分並より上の (ママ、地震略カ)六ノ井多賀
氏ゟ報知ニよれハ尾州一ノ宮町ハ殊ノ外ノ震災ニ而全
町□倒家ニ相成火事ハ無之候
一式儀□旦㕝ニつぶれ候より、八千宮一郎方も借家二
十余軒も丸つぶれ自分本宅門別居館土蔵不残全潰レの
よし
同廿一日
昼午前十一時頃此辺へ永クつよし地震
同廿八日
(上欄)今朝六時中地震
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 730
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岐阜
市区町村 池田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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