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項目 内容
ID J2900992
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔南都薬師寺本堂修復之覚〕薬師寺第二九ノ二一函第六三号
本文
[未校訂]南都薬師寺本堂修覆之覚
一、本堂ハ薬師寺御堂桁行十二間梁行七間
右之堂ハ享禄二年兵火の為に焼失仕候得共其時節 乱
世故何方江願ひ可申様も無之当分假り堂に仕置候処郡
山城之増田右衛門佐殿瓦ふきに御寄進を成及于今二百
年斗に罷成候故柱本大分朽損し先年正徳年中ノ大地震
に柱三十本斗も大分に朽申候間当分添柱なといたし修
復を加へ置候得共其後少々の地震にも痛ミ多ク出来候
故先立修理に仕大分朽申し候柱共十本ニ而も二十本ニ
而も漸々に取替申度候其外根つき斗に而不苦分は根つ
き仕度候事
一、観音堂ハ及千年候間是又大分の敗壊に而候得ば是堂
も修復を加へ申し度候事(後欠)
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 399
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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