[未校訂]○同月十二日諸国大地震、他国の事ハ追々承り候処、伊
賀・近江・美濃の国々不怪候由、見聞して不驚者もな
かりける、当所ニテも家一軒倒ル、近在ニテも少々ヅヽ
の損じハ家々ニ有之、南都春日の社、左(堺)海住吉社石燈
籠夥敷たをれ候者、春日の社御改の所、石とうろう六百
本たをれ、町々所持の燈籠是又六百本ニ余りけり、此
時何方ニテも紺屋ハあい壺よりあいをゆりこぼし候事
夥敷、已ニ当村・森わき・御所等の染屋、庭より表へ
あいながれ出仰山ニ見へ申候
年代記ニ地震ニテ家のたをれ候事印有之といへども、
仰山ニ印有之様存居候所、此度の地震ニ目前見及、皆々
打寄肝をひやセし事ども也、しかし近辺ニテ地震ニテ
損失ニ(ハカ)格別ニ無之候