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項目 内容
ID J2900431
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1793/02/08
和暦 寛政四年十二月二十八日
綱文 寛政四年十二月二十八日(一七九三・二・八)〔鰺ヶ沢〕
書名 〔小泊村史、中巻〕青森県小泊村史編纂委員会編H10・3・31 小泊村発行
本文
[未校訂]六 寛政の大地震
 寛政四年(一七九二)十二月二十八日午後二時ごろ、北
緯四〇度七分、東経一四〇度の秋田沖を震源地とするM
六・九の大地震が発生した。お正月も近いというので、
弘前の銭湯は入浴客で混んでいたが、グラグラと揺れた
ので「銭湯に入りし女中みな丸裸にて表へ出て、又借金
取は地震に驚き催促もせずに逃げ去りたる故、催促も地
震と引て御歳暮万歳楽と祝ふ(う)借主 一寸齋」という狂歌
がつくられたという。このときに西浜の名勝地千畳敷が、
隆起して今日の姿になったことはよく知られている。
西浜大被害
深浦・鰺ケ沢辺の被害がとくに大きかっ
た。小泊でも被害はあったと思うが、「御
国日記」にはみえない。
 「八時過強キ地震 夫ゟ度々少々宛之地震」。藩では社
寺に対して御祈禱を命じる。各地からは被害状況が次々
と報告されてきた。
 幕府へ届けた報告書は「町在破損・出火も有之 其外
海辺津浪人馬怪我等右之通御座候」として、その被害を
記している。
一潰家 一五四軒 一半潰家 二六一軒
一破損家 二三六軒 一焼失家 一七軒
一潰土蔵 八ケ所 一半潰土蔵 二ケ所
一破損土蔵 一〇五ケ所 一焼失土蔵 二ケ所
一社家破損 一軒 一潰寺 一ケ所
一破損寺 一ケ所 一米蔵破損 一三ケ所
一浦々傳(ママ)番所破損九軒
一炭(塩か)釜 一四ケ所 一漁船 二二艘
一街道欠崩 一ケ所 一山崩 三ケ所
一橋二ケ所落 一ケ所破損
一潰死 男五人 女四人
一馬 五疋潰斃 五疋痛馬
右之通御座候 尤当春ニ至候而茂度々地震御座候得共
強き儀は無御座候
 「平山日記」にもこの地震後のことを 「折々の地震ニ而
正月 極(十二月暮れのことか)も無御座 火消之用意致
仮り屋住居同様ニ候 平生之地震より強ク毎日ノ地震
尚亦、ののめきわたり甚心遣ひ致候」と毎日不安に暮ら
している様子を記している。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 183
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 青森
市区町村 小泊【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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