[未校訂] 明和三年正月二十八日(陽暦三月八日)大釈迦付近が
震源と思われるM七・二から七・三の大地震があり、こ
れまた領内各地に被害をもたらした。藩の記録では死者
なしとあるが、このときの津波で鰺ケ沢の人々が海死し
ている(延寿院境内明和地震供養塔による)。また深浦で
は山崩れのため死亡者が出ている。余震はほぼ一年間続
いた。「明和三[戌|いぬ]年正月大地震留記」(「平山日記」も同じ)
によると、「一小泊り、十三、鰺ケ沢辺格別[痛無之|いたみこれなく]候」
とあるが、鰺ケ沢で死者があったことは前記のとおりで
ある。「平山日記」では[潰死人|つぶれしにん]一二二一人と記している。