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項目 内容
ID J2900162
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1694/07/17
和暦 元禄七年閏五月二十五日
綱文 元禄七年閏五月二十五日(一六九四・七・一七)〔伊予〕
書名 〔御当代記〕○江戸戸田茂睡著平凡社 H10・11・11
本文
[未校訂]一六月上旬注進、閏五月廿五日伊予国銅山大地震、火事
も在之、惣人数三千余程焼死、御代官手代二人死去、
吉田津又兵衛・手柄又左衛門、大坂和泉屋と申[金堀|かなほり]手
代三百人余有之内百人余死、地震近辺之山々三里四方

松平左京伊予南条太夫領分、山ハ焼申候へども、堀手六百人余
居申候者壱人も不死、吹屋も焼出申候而山中一度ニ焼、
堀手居申し候家数五百余焼、山中闇夜ニ罷成候、金堀
かゝり穴ニ入申者共二百人程煙にまかれ穴之内ニて死
(追筆)「奥州佐竹領分ニモ閏五月廿七日地震、其節火事アッテ
人多死ト云々」(8)
(8) 『改正甘露叢』には、閏五月六日に先月二十七日佐
竹領能代・久保田(秋田)城中での大地震を記して死
者三百九十四人とし、六月七日に去月二十五日伊予
銅山の震火で三千人の死者との記事を記し、代官手
代の死者の名など本書と同じ記述をふくむ。『鸚鵡籠
中記』も五月二十七・二十八日の秋田地方大地震の報
を記録する。奥州でなく羽州能代地方の地震が五月
二十七日、伊予別子銅山での震火が閏五月二十五日
が正しく、本書の筆者には別子の方が早く耳に入っ
て、両者をほぼ同日と誤解したらしい。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 97
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 東京
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