[未校訂]○るいす・ふ
ろいす「日本史」ノ第二部ニ當ル、
第三十三章○りすぼん市所在ノ海外領土史文書館所藏「日本史」第二部(寫本番號一二八五九)ノ目次ハ第二部第七十七章ニ作ル、パードレ・グレゴリオ
〔・デ・セスペデス〕(Padre Gregorio 〔de Cespedes〕)が小豆島(Xodoxima)で行なった布教、及び五畿内(Goquinai)の諸地方で起ごった異常な
地震について
○上略本年〔一五〕八六年○天正、十四年堺(Sacai)及び都から以遠にかけて、人々がこれまで見聞したこ
とも、さらに昔の歷史書でも讀んだ記憶のないほどの甚だ異常で驚嘆すべき地震があっ
た。何故なら、日本では諸國において度々大地震があるのは珍しいことではないけれど
も、今年の地震は桁外れに大きく、人々に異常な恐怖と驚くべき恐懼を與えたからであ
る。〔私達の曆の〕一月の何日かに〔日本の〕第十一の月の第一日○一五八五年十二月二十一日ニ當ル、而ルニ、第一號文書
ニ於ル註記ノ如ク、ふろいすノ誤記也、に大地が震動し始めた。それはいつも經驗するような搖れ方ではなく、
兩側に搖れる船(navio)のように横搖れした。これは止むことなく丸々四日四晩續いた。
人々は動轉して我を忘れ、家の下敷になって死ぬという心配から、敢えて家の中にいよ
うとはしなかった。何故なら、堺の市中だけで三十以上の倉庫(mais de trinta gudoens)が倒壞し、その中で十五
乃至二十名の者が死んだであろうからである。
それより四十日間にわたって地震は時々起こったが、震動のない日は一日としてなく、
地下に生じた身の毛のよだつ甚だ恐ろしい轟音があった。
地震がもたらした被害は甚大で、破壞された地域が多かったので、それは信じ難いほど
である。ここには、それを目擊した人たちが後に私達パードレ達に語った主要な事柄だ
けを書き留めることにする。
近江國の、關白殿(Quambacudono)が信長(Nobunaga)に仕えていた時期に居住していた最初の地である長濱(Nangafama)と稱する
城地には、千戸からなる町があった。〔そこでは〕地面が震動して裂け、家屋の半數と多
數の人々を呑み込んでしまった。殘っていた家屋の半數はまったく同じ時に發火して燒
けてしまい、灰燼に歸した。それが天空からの火であったのか、人間によって引き起こ
されたものなのか知る由もない。
都では家屋數軒と壬生の堂(Mibunodó)と稱する大きな神社(templo grande)が倒れた。私達のカーザ(cazas)○修院は高い建物
であるために危險に曝され、キリスト教徒達はこれらが倒壞するのではないかとたいへ
ん懸念したが、頑丈であったため、私達の主はそれらが建ったままであることを望み給
うた。しかしながら、それらは他のすべての家屋同樣に左右に搖れたり上下に搖れたり
しないわけにはいかなかった。
若狹國(reyno de Vacasa)には、長濱(Nangafama)○小濱カ、と稱する別のたいへん大きな町が海の近くにあって、多くの人
と商品が行き交っていた。その土地全體が人々の大きな恐怖と恐懼のうちに數日間震動
したのち、海が荒れて、遠くから甚だ高い山とも思われるほどの大波が怒り狂って襲來
し、恐しい轟音を立てて町に襲いかかった。そして、殆んどすべてを破壞して荒廢させ
てしまった。そして、潮の引き際に、大量の家屋と男女を運んでいってしまい、その地
は鹽水を含んだ泡で覆われてしまい、それら〔すべて〕を海に呑み込んでしまった。
美濃國(reyn de Mino)には日本においてたいへん著名な城○大垣城がある。そこにはかつて私達のパードレ
が一人いて若干名のキリスト教徒を作っていた。城は山の上に位置しており、震動し始
めると、城と山が崩れ落ちて下方に沈んだために、その場所には湖のみが殘った。
伊勢國(reino de Yxee)には他に大異變、地震及び驚くべき破壞があった。それらの中で龜山(Cameyama)と稱される
別の城が混亂を來たして倒壞した。
上述したこれらの諸國では、地面に甚だ大きな龜裂のある裂目ができ、すべての者に恐
怖を與えた。これらの裂目からは、たいへん鋭く嫌惡すべき惡臭を放つある種の泥、乃
至黑土が噴出した。そのため、そこを通行する者たちは耐えることができないほどであ
った。
これらの地震の始めには、關白(Quambacu)は近江の湖○琵琶湖の近くにある坂本(Sacamoto)の、明智(Aquechi)○明智光秀がかつて
所有していた城にいた。しかし、彼はその時に行なっていたことすべてを放り出して馬
を乘り繼いで急いで大坂(Vozaca)へ避難した。それは、彼にはそこが最も安全な場所と思われた
からである。
彼の新しい建物や城はひどく搖れはしたが、倒壞はしなかった。
そして、地面が震動し續けた最初の四日間に恐怖と驚愕が續く間、彼は奧方や自分の婦
人達と共に屋敷(caza)から出て、御殿の中の金屛風で圍まれた一軒の平屋(hu terreiro)に身を置いた。
そして、その大坂では關白の弟の美濃殿(Minodono)○羽柴秀長の屋敷が倒壞した。それらは甚だ堅固で
宏大で美麗であったために倒壞することはありえないと考えられていた。
地震が續いた間、そしてさらにその數日後には〔地震以外の〕他のことについては何も話
されることはなかった。そして、異教徒達は每日目擊することや、遠隔地から聞こえて
來ることで恐怖に驅られて虛脱狀態に陷っていた。しかし、それから數箇月もしないう
ちに、何事も起こらなかったかのように、それは、人々の話題から消えて忘れ去られて
しまった。
○下略
○以下、地震後ノ寺社ノ復興ノコトニカヽル、