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項目 内容
ID J2801507
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1923/09/01
和暦 大正十二年九月一日
綱文 大正十二年九月一日(一九二三)〔関東大地震〕
書名 〔関東大震災による甲府盆地の災害調査記録〕清水小太郎著 「甲斐路第83号」H8・3・25 山梨郷土研究会編・発行
本文
[未校訂] 甲府盆地における自然災害記録については「明治四十
一年災害誌(山梨県)」や「釜無川の水害(菊島信清著)」
など水害に関するものが殆どで、地震災害については余
り知られていない。石和町誌でさえも水害については詳
細に記載しているが地震災害の記述はない。これは関東
大震災における京浜の大被害の蔭にかくれて余り大きく
とりあげられなかった為かも知れない。いま残っている
地震災害記録としては、山梨県師範学校教諭笠井惠祐氏
(地理・地学専攻)と甘利亀雄氏の遺稿集「山梨の地誌
研究」(清水小太郎編集)第二編「関東大震災甲府盆地踏
査概要」くらいのものである。
笠井氏論文の概要
 地震は地殻のある部分に発生した振動が岩石を伝わっ
て伝播する現象であるが、地震波を伝える岩石が均質体
でないため、地震災害は地域によって著しい相違がある。
関東大震災の場合でも相模湾底で起こった振動は、丹沢
山地や御坂山地を構成している岩石を伝わって甲府盆地
に達しているが、中間山地上の集落は軽微であったのに、
それが甲府盆地では激甚な災害をおこしている。盆地で
被害が最もひどかったのは石和町から鰍沢町に至る笛吹
川ぞいの氾濫原であった。特に今の石和町富士見地区(当
時富士見村)が最も被害が大きかった。
 この地域は明治四十年と四十三年の水害で暑さ二メー
トルに近い堆積土があったところで、最も若い沖積層で
地下水準面も浅い。ここでは大量の地下水が噴き出して、
忽ち泥沼化したところもある。富士見小学校の校庭には
砂の小円錐丘が形成され、堤防は水平方向に開いて原型
をとどめず土[囊|のう]を積んで浸水をくいとめた。小川にかか
っている木橋や農家の糞ため池は浮きあがり、土蔵のよ
うに重い物体は地下に沈下した。水平なはずの水田は褶
曲山脈の模型を見るように山と谷が並列している。家屋
は地盤が水平に開いて傾斜して倒壊した。沖積地帯では
何よりも重要なことは基礎工事をコンクリート化して完
全にし、地盤が水平に開かないようにする対策が必要で
あることを知った。旧玉諸村国玉の三の官(玉諸神社)
付近の国玉部落は被害が軽微であったが、これに隣接す
る上阿原以南の被害は大きかった。これは国玉から和戸
にかけての地質がいわゆる和戸粘土層で瓦製造原料とな
っているが、上阿原以南は笛吹川氾濫原で若い沖積であ
るからである。
 報知新聞編集局の「大正大震災誌」では、山梨県下の
被害は、家屋の倒壊五七二棟、家屋の半潰九二四棟、死
者一七名、負傷者五〇名、行方不明一名と報じ、甲府竜
王間の荒川鉄橋附近に大亀裂を生じ鉄路が一尺余りも沈
下した処へ、甲府駅を発した下り急行列車が乗客を満載
して差しかかり、非常に危険に頻したのを、荒川に釣り
に来ていた青年が発見し、やにわに線路内にとび込んで
衣類を打ち振り大声を発して列車をとどめた為、辛うじ
て難をまぬがれた。と記載している。
甘利氏の論文概要
 富士見村地域は砂とも泥ともつかない「かつら」と呼
ぶ粘着力のないサラサラした厚い堆積土砂であったの
で、堤防はめり込んで水平となり笛吹川の水が洪水とな
って、震害のうえに水害が重なり、家のみでなく耕地も
殆ど全滅となり、その惨状は目もあてられない状況であ
った。富士見小学校は校舎の土台が地下深くめり込み、
反対に床下の土が盛り上がり床板がはじけて天井に届き
そうになった。校庭は至るところ青みどろと細砂の吹き
出した小山ができていた。寺では墓石が倒れたり、立っ
たままで廻って方向を変えているものもあった。盛り土
をした土地や道路は例外なく地割を生じ、めり込んだ分
はその隣りの低が盛り上がって、水平な水田に小山のう
ねりが出来ていた。北の石和町地内は富士見村より被害
が軽かった。
 甲府市では上府中の相川扇状地扇央の家は大部分が壁
に亀裂を生じ、古い家や粗末な建物は半潰したものも見
られた。中央線以南では扇端ならびに氾濫原で全潰・半
潰した家も見られ、殆んど全部が多少損傷を受けていた。
特に南部の伊勢町方面は甚だ被害を受け、道路に亀裂が
生じ、建物は土台が地中にめり込み、部屋の床下の土が
盛り上って床がはじけ、家の周りの空地には至るところ
から青みどろが細かい泥や砂とともに噴出していた。
 中郡地方は釜無川氾濫原で末端に行くにしたがって震
害もひどく、末端では富士見村に近い状態の被害を受け
ている。西郡地方では南湖村・五明村の低湿地帯の被害
が大きい。落合村では市之瀬川、秋山川、堰野川の合流
地域が極めて粒の細かい泥でできているので、震動も強
かったようであるが、幸い人家が無かったので農作物だ
けの被害であった(田の畔が下がって潅漑困難となっ
た)。
 以上関東大震災における甲府盆地の災害調査の概要を
紹介したが、現在甲府勝沼バイパスの通過地域は、甲府
から石和方面に多くの商店、事業所、ホテル、公共施設
などの建物が並んでいるが、果して対震建設がなされて
いるだろうか。大地震のさいには液状化現象も起こる最
も危険な地域と思われるので特に注意する必要がある。
(中巨摩郡八田村上高砂一〇三五)
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 570
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山梨
市区町村 甲府【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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