[未校訂] 大正十二年九月一日に関東大震災が発生した。この地
震によって宗賢院とその末寺、それに檀家は大きな被害
を蒙った。そのときの状況を玄圀和尚は翌年元旦に次の
ように記録している。
当院ハ開山堂・門・玄関・廊下全潰、本堂・庫院・物
置半潰シ、被害見積金壱万五千百五十円時価ナリ(玄
米壱俵十四円)、然モ当町ニ十余リ寺ノ中、家屋ノ大小
ニ依ルト雖モ、尤モ当院ハ少被害トノ事ナルトノ事ニ
見テモ、後者思ヒ半ニ至ラン
本寺・末寺の被害については
東林寺 半潰
永昌寺 全潰
龍前寺(院) 全潰
泉秋寺 全潰
海前寺 全潰
養命寺 半潰
玄珊寺 半潰
総世寺 本堂・倉庫半潰・庫院其他全潰
宝積寺 本堂全潰・庫院半潰
とあり、さらに檀家一五名の死者を記録している。
堂宇の被害については、福田会の基本財産一六〇〇円
があったので応急策を講ずることができた。翌十三年一
月十五日午前五時五〇分ごろ再度の地震があり、震度は
関東大震災の三分の一ほどであった。そのため各所で家
屋が倒壊し、死者も相当に出た。宗賢院も堂宇の応急策
が「空ニ帰」してしまった。昭和六年二月本堂の修理(屋
根を草葺きから亜鉛引き鉄板葺きに替え)と祖堂(開山
堂)の再建に着手、工費七千円余で十一月に完成した。
同十一年九月大庫院の改築に着手し、翌十二年四月竣工
した。世話人は三觜舜太郎・鈴木勝太郎・端山藤次郎・
中田竹次郎・鈴木勝蔵。
(注、*は横浜市、△は茅ヶ崎市、○は藤沢市にある)
(末寺の項)
正覚院 横浜市港北区大豆戸町一一六〇番地
大正十二年九月関東大震災により堂宇が被害を受け、
二十九世普覚正淳和尚はこれに大修復を行った。