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項目 内容
ID J2800993
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及周辺〕
書名 〔諸用留〕○大野市横枕野尻源右衛門家文書□野尻次郎蔵
本文
[未校訂](注、かわら版の写しらしく、各町々の被害の様子を簡単
に記してある。類書多く省略)
一近年之大地震諸国之内ニは所々ニより大破人命も危キ事
共多く去々丑年ハ相州小田原大地震ニ而去夘年(ママ)暮紀州
辺ヨリ四国辺諸国共大地震ニ而又当夘年迠冬夏共折々
諸国大地震ニ候十月二日のかゝる大地震ニは当初□□
少々之地震ニ候
一江戸大地震ニ而当御領主様御父子共御国故無御別条尤
江戸御屋敷建物茂上中下共損し不申併諸大名之御内ニ
は色々破損出来当分差当り江戸御在勤も御難儀之御
方々も有之趣ニ而公儀御触ニも万石以上之御家ニ而は勝
手次第在城江可引取トノ被仰渡も有之候由下々評判
申候
一江戸御府内十月七日(安政三年カ)又大地震有之候由折々之天災当領
主御屋舗ハ別条無之候得共近来□リ折々之地震ニ而建
物破却いたし候故江戸常府勤成丈ヶ減し被成度御趣意
之由ニ而此度江戸屋敷国元ヘ引越し被 仰付候而是御
作事小屋ニ相成候分取除ニ相成右場所ヘ長屋相建候儀ニ
而諸国之御大名方何茂江戸在□減し候様之御勘弁之
由尤江戸ハ在番ニ而相詰候様之御治定ニ候
(注、安政四年の記事に割書のような形で「江戸三ヶ寺大
中寺地震破却ニ付」とある)
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 466
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福井
市区町村 大野【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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