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項目 内容
ID J2800973
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及周辺〕
書名 〔三右衛門日記(三)〕○群馬県玉村町福嶋「玉村町誌別巻Ⅵ」H10・3・31 玉村町誌刊行委員会編集
本文
[未校訂]十月二日 テンキヨシ夜四ツ頃大地志ん
同夜四度いたす也
三日 同断、地震三度
四日 テンキヨシ 北風地震いたす
五日 テンキヨシ ち志んいた須
六日 地志ん両度
御地頭所地志(震)んニ而大変之由御用状到来
大変 大殿様 御卒去被成
御上ニ而五六人御死去
御長屋通リニ而中間六人
子安様怪我
諸方ゟ出火潰家
死人何万人與云数不知
右ニ付小前末々迠(迄)一同會合、當年御用金御請之分並物
成悉持参出府致候様被仰越候様ニ、石塚村名主八十七江被
仰渡候、同人書状認之由、依而相談金子者持参致候事一同
相談取極め候
七日 テンキヨシ 地震夕五ツ頃いた須(す)
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 447
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 群馬
市区町村 玉村【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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