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項目 内容
ID J2800928
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔覚〕○草津市長束時二郎家文書 草津宿街道交流館提供 2 242
本文
[未校訂]然ル處同十一月四日昼七(ママ)ツ時大地震ゆる処彼是六月之地
震と同様東海道駿州路町家倒レ出火又津浪両様ニ而往来も
難出候也又候十一月五日朝五(ママ)ツ時大地震尤昨日とは少々
ゆるし右四五日両度之地震ニハいせ国九州四国筋大坂兵
庫等何れも大津浪ニ而大阪丈ケニ而も万人の死骸数志れず
といふ也大舩は数破損し候右十一月四日ゟ後昼夜ニ地震
何十度と数知らす翌夘年ニ成リ候而茂矢張リ時々地震ゆる
也右両日之いせ大阪辺之津浪之[響|おと]を慥ニ此辺迠聞へ候事
偽りなし
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 420
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 草津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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