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項目 内容
ID J2800886
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔三右衛門日記(三)〕○群馬県玉村町福島「玉村町誌別巻Ⅵ」H10・3・31 玉村町誌刊行委員会編集
本文
[未校訂](昼四ツ頃大ぢ志ん、地面王連(ワレ)而人
ころぶ、馬も同断、壁土露ル
十一月四日 テンキヨシ、大地震、昼四ツ頃
十一月五日 テンキヨシ 地志ん時々阿リ
十一月六日 テンキヨシ 地志ん
十一月七日 テンキヨシ 地志ん同断
十一月八日 テンキヨシ 地志ん
十一月九日 クモル 地志ん両度
十一月十八日
志摩国津浪ニ而七所同様ニ成り 淡路島同ニ而大変ニ成ル

大変之事承り之場
嘉永七甲寅十一月四日(?)朝御届ニ而五日之暁与大地震所々
ゟ沙汰
四国丸亀も大変成ル由
九州同断
一、小田原箱根 人家先ニなし
一、三嶋 人家不残潰、新町橋ゟ出火して明神前
伝馬丁久保丁三町やけ(焼)る
○大坂死人多し、橋直し之鳶ヲ増死人揚ル由
一、沼津 御城崩レ通もん(門)潰、怪我人あまた
(数多)一、原・吉原・蒲原・由井・奥(沖)津・江尻右不残潰レ
一、駿府 人家不残潰御城崩けが(怪我)人あまた
一、まりこ(丸子)・岡部
右二宿少々つふ(潰)れ
東海道阿ら(新居)井宿中ニ而柱弐本残り外何もなし
一、藤枝 御城内人家一めん(面)につふ(潰)れ出火して死
人多し
一、嶋田・金谷・日坂右宿つふ(潰)れけが(怪我)人数[志|(し)]れ[須|(す)]
津浪三里余り上沙汰有之也、津波二重の雲之様
ニ成り一面ニ白クなり来ル事、不知由承ル
一、掛川 御城崩レ町家つふ(潰)れ、出火して大はん
(半)やけ(焼)る
一、横須賀 右同断人家つぶれ大変之事
一、袋井 人家潰出火して死人
一、見附 右同断
一、豆州下田 津浪吹出し町家押なかし大船数船行衛
不知、山之上江大船二艘上ル
一、甲府 町家所々つふれ
一、信州松本 御城内崩人家つふれ出火して大はん
(半)やけ(焼)る
右東海道二十二宿大地震承り候間、記置候
 アメリカ船ハ兼而地震ヲ知り沖中江出帆いたし、
いかり(碇)をおろし難ヲ志の(凌)きし由、日本船一切行衛不知
之由
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 303
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 群馬
市区町村 玉村【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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