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項目 内容
ID J2800619
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1830/08/19
和暦 文政十三年七月二日
綱文 天保元年七月二日(一八三〇・八・一九)〔京都〕
書名 〔耳の垢〕進藤寿伯稿「近世風聞・耳の垢」S47・3・10 青蛙房発行
本文
[未校訂]○大橋丈太郎殿伏見勤番中、上方大地震、書状にて申し
来たる、略写し、七月二日夕七ツ半時[比|ごろ]、地震ゆり、ま
たゆり、三度目甚だ厳しく、全く大地震となりしゆへ、
丈太郎殿庭へ下り、御屋敷御内玄関前の明き地へこけつ
[転|まろ]びつ逃げ行きしところ、なほきびしく庭内地割れ、凡
そ一尺小さきは四五寸位、御内外には大きなるは二尺四
五寸、小さきは八九寸位、その割目より泥水を吹き出す
事、はげしき時は、凡そ二三尺も上り候由、同三日、相
替らずゆり、尤も昨日よりは軽く、夜に入り御屋敷内へ
帰り寝られしとぞ、翌四日晴天、小昼頃夕立きびしく、
その内右の空一面に紅色に相成り、人の顔も赤く見へ、
その内追々消へまた黒くなり、これも追々消へ晴天に相
成り候由、聞きても不気味千万なり、この状、四日夕[認|したた]
めとあり、京都も厳しく、禁裏様、仙洞御所へ御立ち退
きこれ有り候由、八坂の塔、本願寺御堂もゆがみ候由、
伏見町中にて家倒れ候事凡そ三十軒余、昼夜老人小児な
どの泣き叫ぶ声喧しく耳に離れざる由、淀川筋一面白く
泡だち船も破損多し、その後十日後もいまだ止まず、日
には五六度もゆり申し候由、前代未聞の事なり、大坂は
至って軽く、丹波・丹後辺厳しき由。
○十二月十六日より天保と改元。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 208
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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