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項目 内容
ID J2800253
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海~九州〕
書名 〔田辺市史 第七巻 史料編Ⅳ〕田辺市史編さん委員会H6・3・30 田辺市発行
本文
[未校訂](万留帳(抄))田辺市立図書館保管真砂家文書
(注、三栖組(現田辺市中三栖)大庄屋真砂氏作成書付け
および到着書付の書き留め)

一宝永四年亥十月四日午ノ刻大地震いたし、大地割レ山
所々くづれ夥敷義ニ候、田辺御家中町家共多潰申候、
地震已後追付津波揚り、田辺町(カ)并本町片町紺屋町家々
流失、江川橋も落、下丸村大薮之本迄流参り、船も多
下秋津村伊作田村辺へ流参り、人も余程相果申候、但
下長町迄波上り申候、夫故諸士方町人共権現山愛宕山
辺へ逃、三四日ハ山住居いたし候、其已後も一日一夜
ニ六七度つゝ明ル子春迄毎日地震いたし候
一富田組ハ取分大波上り、芝、高瀬、高井、溝端、吉田、
中村等家々一軒も不残流申候、其外浦々へ津波上り、
家人牛馬共大分流申候
写222―16 遠江国絵図
(部分)白須賀の下の海岸線に①上長谷・②中長谷・③下長谷の表示がある。
(細江町大鹿節夫家所蔵)
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 88
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 和歌山
市区町村 田辺【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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