[未校訂] また、元白須賀の西には[長谷|ながや]という集落があった。遠
江国絵図(写222-16)には元白須賀宿に並んで上長谷・
中長谷・下長谷の集落が海岸ぞいに記入されている。こ
の長谷の各集落も宝永地震津波を含めてそれまで度々津
波・高潮災害に見舞われてきたことが発掘によって明ら
かにされているが、この時の白須賀宿の移転と同時に台
地の上に移転したとされる(建設省中部地方建設局・静岡県教育委員会・湖西市教育委員会『国道1号線潮見バイパス(湖西地区)埋蔵文化財発掘調査報告書長谷元屋敷遺跡』1987))