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項目 内容
ID J2700722
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1830/08/19
和暦 文政十三年七月二日
綱文 天保元年年七月二日(一八三〇・八・一九)〔京都〕
書名 〔堺廻り農村史料并堺年代記〕H4・3大谷女子大学資料館編・発行
本文
[未校訂](享和後珎記)○泉州舳松村(現堺市)高野喜市旧蔵
一、京都大地震之事
右文政十三寅七月二日七ツ時、堺表ニ而も大地震也、併
一統別条なく候
京都ハ同二日早朝七ツ時ゟ夕五ツ過迄たへず地震ニ而
屋根瓦落、或ハ古家転ケ候所も有、御所御築地大ニ損
し、二條之御城石垣大ニ破損、八坂塔少々損し、大仏
殿東側塀崩れ候、金閣寺・銀閣寺損し、西本願寺御殿
大ニ破損、築地大ニ損し候而御殿築地とも大ニ破損ニ而
両門主様本堂へ出行也、大谷破損、其外寺社等損し候
方夥敷事、当又(尚の誤カ)京都ニ而転ケ候家数凡四百軒斗、尚又伏
見辺ゟ大仏まへ将基(マヽ)たおしニ相成候家〻半丁又ハ壱町
ツゝ有之、三條宿屋之分、尤止宿人川原へ差出し候、
其外大仏前ニかり家を建、暫住居致候仁、是又夥敷事ニ
候、人損しハ格別ニ無之由、七月二日夕ゟ三日四日諸
商買取引無之候
右ニ付、土蔵崩れ、石燈篭不残崩、町方屋根之瓦大ニ落
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 990
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大阪
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