[未校訂]地震
文化元年甲子の歳夏六月四日の夜大地震にて飽
海郡由利郡其[災|わざはい]にかゝれり初め
寛政三年庚申の冬より鳥海山燒初め文化元年甲子の夏五
月初まて燒けり昼は煙りたち夜ハ燃て酒田よりも幽かに
見えけり其間に夜る閃爍たる光りもの飛いで鳴動して天
を渡りしことまゝありき山冢の七高山より西低き所却て
良く抽でゝ新山湧出し硫黄湧いでゝ流れにいり麓乃川硫
黄臭く雑魚多く死せりされとも人〻これを飲しに害なか
りき後にハ清水を索めて壱人に弐升ツゝ用ことなり鳥海山ハ六十壱年前にも六七
年も燒しことありと云り
同甲子の五月廿七八日頃より海上に爛れたる[大凝菜|トコロテン]の如
く数里に塞りて漁舩の進退自由ならず海底に雷鳴あるが
如し又[氷母|クラケ]海面より濱の平砂に上ることまゝありき川舩
にハ蟹穴より出、纜を傳へて舟に入こと多し闔酒田の[洪|ツリ]
[鐘|カネ]五大院にあり同甲子六月四日午後に洪鐘自ら鳴る其声
牛の微く吼るがことし桶屋町比舎の人聞もの多し此日天
気曇りて暗々として澹紅なり連日海底に雷鳴あるが如し
已に地震の時に至りて其鳴奔雷の如し東風静かにして微
雨ふりぬ
其夜二更三點にソリャ地震といふことこそあれ我父速か
に閨をいてゝ戸を開けり我時に年七歳母の懷に熟睡して
ありしに母急に我を腋挟んて匍匐し父に誘われていてゝ
外地に放たれけれハやゝ目を覚しけるに比舎轉覆の響男
女叫喚の聲夥く嚴しき所も家屋帑藏も忽ち傾き壞れたる
帑藏より布帛家什財寳の外に露出すれとも意を属する人
もなく唯胡乱々として手を束ねて漠視するのミ片町に失
火ありて弐十余戸も延焼すれと火を防く人もなく[褻衣|フダンキ]跣
足のまゝなれハ火所にゆく人稀なりき地震しば〳〵なれ
ハ孰れも中路に扉をしいて詰朝まて夜を守れり翌五日に
ハ家に居る人なく[廡|ヒサシ]下に[瓦窯|カマド]をすゑ[燎薪|ヒヲタク]して炊き家家
にハ煙を禁しけり此日黄昏に大地震三十日余の地震日々
五六発なれハ屋上より瓦石をふらし地忽迸裂して坼る所
或ハ幅五六寸或ハ一尺五六寸或ハ弐三尺五六尺長数十間
も坼て濁水弐三尺も飛騰しまゝ木の葉を湧あけし処もあ
り地の坼し所ハ卑濕の地に多く高燥の地に少し地の坼て
濁水を湧上るを見ハ魂をも失ふへきに暗夜なること幸ひ
なれ実に寒心すへき事なりけり酒田の闔邑中路に[遮暘|ヒヲ、ヒ]版
をかけ人々みな此下に居れり夜には燈篭を張り家々のし
るしとせり路次狭くして往来に殆と困りぬ市令過るとも
人の避べき所なく又失敬の咎めもなし三喰の食ハ脱粟米
を炊きて[塼黍|ニキリメシ]となし羮もなく[♠|シル]もなくたゞ味噌[醬|シヤウノミ]や
[醃菜|ツケナ]のミにて食せり
同五日に訛言ありて[海♠|ツナミ]大いに来り陽侯陸を浸すへしと
て人人老少病瞽を提助挈して[日昳|ヒルノヤツ]より連々として逃走
し千日前邊の山野に野次すること十日斗り
戸田侘石子曰羽州の濱にハ汐のさし引なし故に三日汐干
を知らす又津浪の煩なしと云り今考るに実にしかりト校
正庄内物語下巻に見えたり
同七日坤の方より暴風烈く吹来り塵埃を箕揚し目を迷は
し行路ならざること四日もしこのをり失火あらハ闔邑の
[遮暘|ヒヲヽヒ]版の暴風に崩潰セし所まゝありて逃亡するに走路な
く死する人も数多かるべきに先ハ失火なきこそ幸へなれ
又去享和三年癸亥の四月上旬より七月上旬まて麻疹流行
セり其をりならハ遊佐荒瀬平田三郷の人民了遣あること
なかるへきに今年なること幸へなれ
地震にて地の坼し所を両三日へて砂石を以て埋けれと大
雨にハ坼し所に雨流れいり戸々の間に溢れいり家底にい
りて困りはてたる事なり
地震の夜突抜上内町下内町肴町細(ママ)肴町ハ地坼て濁水弐三
尺湧上り五町の内家四五軒傾きて余は尽く倒れぬ
給人町片町山王堂町中之口八軒町ハ初夏に火災に遭へり
當時小屋にすまひなりしかバ小屋の倒れ少し地坼て濁水
を湧出せしこと皆同し
近江町筑後町堀切新片町家多く倒れ地坼て濁水の湧出セ
しこと皆同し荒瀬町ハ家の倒れなく地坼て濁水湧出セし
事皆同し
新米屋町の中邊両側裏地より湧水流れ出ること三十余日
堰十分に流れ落八月上旬まて泉の湧か如く後にはかれた
りけり
東禅寺領分の井ハ井底より平砂もり上り湧水飛騰し[井軒|イケダ]
まても平砂になり次は平砂井の中邊にもり出傾かぬ[井欄|イヅ、]
稀なり井欄一丈余も飛出セしもあり當時飲水に甚た窮せ
り十四五日を経て[井匠|イドホリ]をして砂をほりあけしに井底横斗
りなるもありき
新井田葦谷地太郎谷地両方より[逆斥|ツキダス]し無棚舩漸くゆきち
かひにこきぬ
新井田川に水たゝへ吐出し細くして稲荷小路より舩場町
まての川幅狭くなり流水不足にて廩米舩積の上荷舟廩米
を運輸すること能はす七月になりて宮より丁持に命セら
れ川の幅弐十間斗り掘せられけり
本町一丁目東三四間より突抜の端まて三四尺斗り地勢
段々低くなれり
上内匠町林昌寺門前の泥堰の底より平砂もり上り市中高
くなりぬ又林昌寺前より五大院坂の下まて地勢弐尺斗り
高くなりぬ
筑後町堀切向より北に町幅廣くなれり
新地西町中邊より両地勢三四尺高くなれり
新米屋町中邊より東の地勢段々低くなれり
桧物町中邊より西の止りまて段々高くなれり
妙法寺の赤門倒れ其辺の地勢凹ミ三尺斗り低くなれり
大工町の中辺弐拾間余の地凹ミ雨天にハ水溜り晴天四五
日をへても乾かず[宇溜|ノキシタ]の下も人々往来ならす
大工町泉小路上中町の間地凹ミ雨天には雨水とゝこほり
簷霤に水溢れ舎下帑藏にも水おしこみぬ
六軒水路中辺より西の方之地勢段々高くなり上小路の町
幅廣くなれり
舩場町には地坼て濁水三四尺湧上り井中よりも濁水飛騰
し蛟龍の口より水を吐出すが如し
諸寺諸社の壁おち傾けり林昌寺ハ大破なり安祥寺の鐘樓
倒れたり
市中の宅地に延縮あり大方ハ延たる所多し大手[城壕|シロノハシ]橋
弐ツに折れ橋板互ひに重りて坂のやうになれり
割小屋の側地七八尺坼たり長弐間斗りの材木をわたして
通路とせり
亀堀の土湧上り道路に均し
飯盛山東西に弐ツに坼る
天變地異といふ俗書に云く地震の災ハ強も震動の強弱
にあらずその震㳒の模様により強きもの軽きあり弱き
も災の甚しきあり即ちその模様四通りにて左右に動く
あり上下に動くあり[抗|アケ]るあり旋すあり此四ツの内にて
旋す地震ハ強からざるも恐るべきものなり大概一度の
地震は脉の六十度打つ間を過ることなし打重て震動す
ることあるがゆへに稀にハ長き震動に逢ふことあり
地震の後三十日計り海の鳴やまず人〻畏憚せり
地震の後十四五日をへて晡時より西に赤き雲朱を抹する
か如く弐日出る
雨つゝきの夜初更に虹たちし翌日より晴天になる
地震ハ火災とハ異なり[竊盗偸児|イタズラヌスミヌスビト]の患ひなし
[釀家|ツクリサカヤ]にてハ酒多く流れ不足したが他所酒多くして價貴
からす
匠人鋸匠他所の匠人ともに日々[衛府|ヤクヤシキ]に[環召|メシカへ]セられて市
中にてハ幼匠をもたのミ轉覆セる家屋それなりにして捨
置ぬ當時匠人傭夫ともに工價三百文周旋する人も互にな
く役徒ハ日々に官より命セられ貧窶の爺嫗寡婦孤児など
ハ役徒に雇はれ多少の傭銭を得て八月上旬頃まて其潤ひ
を得て憂世を安く過しぬ宋の范文正公の浙西の饑歳の窮
民を救へしをもかくやあらんと思ひ當れり
十餘日をへて壁の壊れたる家の傾しも闔邑一統の作業な
れハ匠人巧者の不足にてはかとらす居室なとハ間に合せ
のすまひにて交互せる[地版|ネダイタ]に起居することなれハ半兵衛
行□□の人あれバ其響をきいて寝いるも人も又地震かと
驚きぬ
諸寺諸社にて日々の祈禱あり海向寺ハ鳥海山月山に参詣
し祈禱札を市中の道次に竹に挟て立られけり
官資財を助けんが為に舩儈にハ金千弐百両官より御拝借
命せられ釀家にハ五斗米千三百苞官より御拝借命セらる
内町組米屋町組にハ中家より以上の家を除き倒れし貸し□ふ家傾
し家にハ官より金五両或ハ金三両拝借官より命セられ貧家にハ
官の御憐恤にて金弐歩つゝ賜りけり貧家にハ二方金
ッヽ官ヨリ賑恤し給へけり
遊佐郷ハ地震嚴しく江地組濁水夥しく湧出し農家にハ多
く家什を流せり死者ありし家には死人を櫃等にいれ背負
し鍋と米味噌鹽等を推きひて人々山に逃去り五六日も野
次セり當時濁水多く清水不足し壱人に清水弐升に限れり
荒瀬平田の両郷もかくありしとなり
三郷の田圃も陥りて沼となりしもあり又丘陵の如く高く
なりしもあり所々の♠にて書尽し難し
三郷荒歳にて飢饉にひとし川南は地震よわけれとも蝗♠
多して儉□(歳カ)也白田は尤もあしく大豆も絶てなし
御廩米は九月中旬に四五万苞農家市中の有米弐三萬苞秋
田にも十万苞もあり東都大坂にも米多く有て秋に至りて
夏よりも米價却て賎し當時凶荒なれとも諸民穩かなり
酒田
民家 三百八十七戸 傾仆
同 四百十弐戸 大破
帑藏 百七十八戸 傾仆
同 三百八十弐戸 大破
佛寺 二ケ寺 大破
社家 一軒 傾仆
修驗 三軒 傾仆
壓死人十人
御城内城 大破
同役家 傾仆
御町奉行所 傾仆
藩中 傾仆或ハ倒
新井田役所 傾仆
御藏米倉 大破
狩川遊佐米倉 傾仆
遊佐郷
民家 千四百八十八戸 崩潰
同 十九戸 焼失
同 三百〇四戸 傾仆
濱八ヶ村民家 二百六十戸 傾仆
鎮守堂 八十壱宇 傾仆
修驗十七軒 傾仆
衆徒并ニ門前 四十弐軒 傾仆
郷の米倉 四十八戸 傾仆
籾倉 四戸 傾仆
壓死 百〇四人
摧壓人 七十人
壓死馬 三十五匹
摧壓馬 十八匹
荒瀬郷
民家 九百七十戸 傾仆
同 三百六十戸 大破
鎮守堂 二十八宇 大破
寺社修驗 三十九軒 大破
郷の米倉 四十三戸 大破
籾倉 三戸 大破
壓死 二十六人
摧壓人 十五人
壓死馬 八匹
平田郷
民家 四百六十七戸 傾仆
同 三百九十九戸 大破
壓死 六人
狩川通
民家 二戸 倒
中川通
民家 九戸 傾仆
同 三十三戸 倒
同 二百三十戸 大破
帑藏 六戸 大破
物置小屋 十六戸 大破
京田通
民家 弐百八十八戸 倒或ハ大破
由利郡公領の属地
民家 二百六十八戸 崩潰
同 三十壱戸 焼失
帑藏 五十三戸 傾仆
物置小屋 五十七戸 傾仆
象瀉ハ絶景の勝地とこそ
きゝしに、地震にて陵とな
れり
象瀉ハ羽刕第一の絶景の勝
地なりしを惜哉當時の地震
にて陵となり今ハ殺風景の
田圃となりたり
壓死 四十九人
壓死馬 八十匹
以上
子六月
右ハ官より御改の後八月頃に相なり営作の事件も多くハ
落成に相なりけり
又鳥鼠は預め火所を知るものにや鳥は炎の先日に巣を辞
し去り鼠は其前日に多くハ叢林に逃亡し災に遭ふもの稀
なり