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項目 内容
ID J2700614
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月二十六日(一七五一・五・二一)〔高田・越後西部〕
書名 〔長岡市史資料編 2古代・中世・近世一〕H5・3・31 長岡市編・発行
本文
[未校訂](専福寺「諸事見聞雑記」天)○長岡市十日町
 同(寛延)四未年四月二十五日、夜八ツ時より大地震入、二十七
日夜迄入申候、高(上越市)田町四千間(軒)程潰レ、寺方も大方潰レ申
由、人死事千七百人余と申事、上ハナタ(名立)チ山崩レ五百人
余死ス、夫よリ一里通リぬけ有間川、是も一宿不残潰レ、
其外高田在家潰申候事其数を不知
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 946
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 長岡【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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