[未校訂] 宝暦元(一七五一)年五月二十五日高田地震が突発し
た。「名立崩れ」の惨劇もいれて、震源地高田は近郷を含
めて全半潰七、〇〇〇軒、死者一万八〇〇〇余人という
稀有の大地震である。その余波が中之島組へ波及して潰
家は三一軒、半潰七二軒、潰れた土蔵一三棟、さらに畑
に幅四尺・長さ一〇町余の地割ができて砂を吹き上げた
が、人畜に災害はなかった。この高田地震の影響は中之
島組だけではなく、近隣にも害があった訳であるが史料
は少ない。僅かに『見附市史』に「本所組で六軒が破損
し、大平堤の土手が破壊したこと、同じ村松領内で鹿熊
村与左衛門、新町甚之助母の二名が落下した梁の下敷と
なって死亡した」と載せてある。