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項目 内容
ID J2700613
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月二十六日(一七五一・五・二一)〔高田・越後西部〕
書名 〔中之島村史 上巻〕中之島村史編纂委員会編S63・3・25 中之島町発行
本文
[未校訂] 宝暦元(一七五一)年五月二十五日高田地震が突発し
た。「名立崩れ」の惨劇もいれて、震源地高田は近郷を含
めて全半潰七、〇〇〇軒、死者一万八〇〇〇余人という
稀有の大地震である。その余波が中之島組へ波及して潰
家は三一軒、半潰七二軒、潰れた土蔵一三棟、さらに畑
に幅四尺・長さ一〇町余の地割ができて砂を吹き上げた
が、人畜に災害はなかった。この高田地震の影響は中之
島組だけではなく、近隣にも害があった訳であるが史料
は少ない。僅かに『見附市史』に「本所組で六軒が破損
し、大平堤の土手が破壊したこと、同じ村松領内で鹿熊
村与左衛門、新町甚之助母の二名が落下した梁の下敷と
なって死亡した」と載せてある。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 946
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 中之島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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