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項目 内容
ID J2700461
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1858/04/09
和暦 安政五年二月二十六日
綱文 安政五年二月二十六日(一八五八・四・九)〔飛驒・越中・加賀・越前〕
書名 〔十日町郷土資料双書一縮問屋加賀屋資料(一)安政五年 江戸・京出役書状〕H3・11・15十日町市史編さん委員会編・発行
本文
[未校訂](三月六日付 多吉書状)
(前略)
一 此度廿五日夜越中登(富)山大地震ニ而不残類焼之由、当
地へ追々飛脚出来、当地参居奉公人も皆帰国致候間、
軽事ニハ無御座候由、先者風聞ニて申上候、先用計り
文略 早々以上
三月六日 同多吉
蕪木八郎右衛門様
(三月五日付 嘉助・嘉右衛門・宇吉書状)
(前略)
一 先月廿五日夜木曽須原泊り之節、九ツ半時地震ニ而
大キニ驚入候、別条も無之候得共余り永ゝ敷ゆすり候
故皆々表へ懸出し候、段々風聞承り候故、東海道筋金
谷・島田辺少々いたみ候様子、北国加賀・大聖寺辺か
いたみも有之様子、京都ニて風聞在之候、御国元ハ如
何之様子ニ候哉、別条も無之様奉祈居候
(中略)
三月五日
同嘉助
嘉右衛門
宇吉
蕪木八郎右衛門様
貴答
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 882
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 十日町【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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