[未校訂] 越前における大地震は三十数回も記録されている。安
政五年二月二十五日(一八五八)に烈震があり、余震は十
日も続いた。飛驒地方で倒壊七百余戸、越前北部でも倒
壊三百戸という。藤原有馬世譜補遺に天守閣が大破して
石垣が崩れ、家中にも被害があって手当を出すなど、災
害復旧に藩では三千両を借金したと記してある。寺院の
被害が大きく、長屋の外に小人町で二軒、金津口で三軒、
五軒町で二軒つぶれた。八幡町では大きな地割れがあり、
青砂と泥水をふき出した。この地震で天守閣の鯱が落ち、
慶応元年(一八六五)十月に復興した。(木心銅板張)
福井の歌人橘曙覧の手紙に福井地方はひどかったが、
丸岡や金津はもっと強くて、民家がたくさんつぶれたと
ある。家いえの台所では水がめが倒れ、油つぼがころが
るので置場に困った。竹やぶに三角小屋を作って、一月
余りも寝起きした者がある。三月三日に大雷雨があり、
小屋の中がひどい目にあったという。