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項目 内容
ID J2700459
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1858/04/09
和暦 安政五年二月二十六日
綱文 安政五年二月二十六日(一八五八・四・九)〔飛驒・越中・加賀・越前〕
書名 〔増補改訂丸岡町史〕丸岡町史編集委員会編H1・10・5 丸岡町長
本文
[未校訂] 越前における大地震は三十数回も記録されている。安
政五年二月二十五日(一八五八)に烈震があり、余震は十
日も続いた。飛驒地方で倒壊七百余戸、越前北部でも倒
壊三百戸という。藤原有馬世譜補遺に天守閣が大破して
石垣が崩れ、家中にも被害があって手当を出すなど、災
害復旧に藩では三千両を借金したと記してある。寺院の
被害が大きく、長屋の外に小人町で二軒、金津口で三軒、
五軒町で二軒つぶれた。八幡町では大きな地割れがあり、
青砂と泥水をふき出した。この地震で天守閣の鯱が落ち、
慶応元年(一八六五)十月に復興した。(木心銅板張)
 福井の歌人橘曙覧の手紙に福井地方はひどかったが、
丸岡や金津はもっと強くて、民家がたくさんつぶれたと
ある。家いえの台所では水がめが倒れ、油つぼがころが
るので置場に困った。竹やぶに三角小屋を作って、一月
余りも寝起きした者がある。三月三日に大雷雨があり、
小屋の中がひどい目にあったという。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 881
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福井
市区町村 丸岡【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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