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項目 内容
ID J2700457
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1858/04/09
和暦 安政五年二月二十六日
綱文 安政五年二月二十六日(一八五八・四・九)〔飛驒・越中・加賀・越前〕
書名 〔有馬家世譜(丸岡邑編)〕H2・10・20 丸岡町有馬家文書刊行会
本文
[未校訂]一安政五年戊午【一八五八年】二月二十六日
暁丸岡大地震、【自丑の刻[午前二時]至る卯の刻
[午前六時]迄】御城大破、城郭一円、郷町とも
悉く損す。此の時公、御年二十二歳。
一同年三月三日
御用番久世大和守広周へ地震御届書一通、城郭及
び領分民家に至る迄皆潰れ、半潰れ破損所夥しく
の旨先ず御達使に相成る。
一同年三月二十二日
御用番久世大和守広周より御書付を以て、御在所
大地震に付き外櫻田御門番【代わり、秋田安房守
熹季(あわのかみひろとし)[陸奥國田村郡三春藩
城主五萬石]】御交替仰せを蒙らる。
一同年四月五日
御用番内藤紀伊守信思(きいのかみのぶこと)【越
後國岩船郡村上藩城主五萬石】へ御届書二通り、
大地震に付き御在所田野村方破損所等の追い御届
差出さる、同日御勝手掛かり久世大和守広周へ御
願書一通、今般地震に付き金一萬五千両御金藏に
於いて拝借の儀御願に相成る。
一同年四月七日
御用番内藤紀伊守信恩へ御届書を以て、御在所地
震に付き二の丸御櫓大破に付き当分畳置き、追っ
て御修復成さるべき趣き御進達に相成る。
一同年四月十二日
御用番右御同人へ早御暇の御願書、御先手川井摂
津守某を以て差出さるるの所、即夕御附札を以て
近々御暇下さるべきの旨仰せ出さる。
一同年四月十四日
御用番御同人より御老中連名の御奉書を以て召せ
られ、翌十五日御登城ありて御在所への御暇仰せ
蒙られ、御先格の通り御拝領物遊ばさる。
一同年四月二十一日
江戸御発駕遊ばされ、東海道通り二十六日大井川
御越立ちありて、五月五日浅水駅御泊にて翌六日
丸岡御着城。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 880
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福井
市区町村 丸岡【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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