[未校訂]二〇 大昔の話安政の大地震
五十は子供
[文政|ぶんせい]に生れますと、実に六十年から先の記憶がござい
ます。私が十二、三の頃が[大饑饉|おおききん]でございまして、[大阪|おおさか]
[表|おもて]で[大塩平八郎|おおしおへいはちろう]が謀叛をしたという風聞を心覚えに覚え
て居るんでございます。ソレからして、[安政|あんせい]の大地震と
なると、コレが三十二、三で、血気[盛|さか]んの頃で、なおさ
らよく覚えて居るのでございます。あの時のお話は御存
知の方も多うございましょうが、只今御老人でも五十年
輩の方では、まだ子供衆でしたろう。十歳前後でござい
ましてしょう。
男女三人連
あの日は私ちょうど[下谷金杉|したやかなすぎ]の親類に居りました。夜
同所[坂本|さかもと]の[寄席|よせ]へ往ったんでございます。男女三人[連|づれ]で。
……寄席が[刎|よ]ねまして坂本から帰る途中でございまし
た。大地がゴトンゴトン〳〵という持上りよう、オヤッ
と[愕|おどろ]いて向いの[家並|やなみ]を見ると、[軒|のき]が[貴君|あなた]、バク〳〵離れ
て口を[開|あ]いている内、グラ〳〵ガラ〳〵ツという天も地
もも[覆|くつがえ]り[砕|くだ]けてしまうような[有態|ありさま]。どうして[起|た]ってなん
かいられるもんですか、バタ〳〵と倒れる。ちょうど目
の前を吉原へ往く威勢のよい[駕寵|かご]があったんですが、[駕|か]
[籠舁|ごかき]共々コロリ[打倒|ぶったお]れたのには仰天しましてございま
す。居ずくまってしまったんで……。
土蔵の鉢巻
その内に吉原は火事。悲鳴は聞える。助けてくれ、救
ってくれの声は実に大変なもんで。……私は[這|は]いながら、
親類まで往ったんでございますが、幸いに[怪我人|けがにん]もない
が、向うの[家|うち]の土蔵の[鉢巻|はちまき]が落ちて、奉公人が下になっ
ているから、来て掘出してくれろ。いや[彼家|あすこ]の[阿婆|おばあ]さん
が[梁|はり]に[撃|うた]れたから来て見てくれろという忙しさ。[現世|このよ]か
らなる地獄とはこれかと思ったのでございます。
三百五十文
これは世の中が末になってしまったんで、この分じゃ
ァ[明朝|あした]っからお[天道様|てんとうさま]もお出になるまいといってその夜
を[明|あか]しましたが、翌朝チャンと[明|あかる]くなったんでございま
すが、どうもベタ〳〵潰れています。……大急ぎで我家
へ帰りますと、マズ家内無事で、何よりと祝いましたが、
第一に困るのは米屋が潰れて焼けてしまったんでござい
ます。これがモウ一番閉口でございました。その時分の
[鳶頭分|とびがしらぶん]で、[本町|ほんちょう]一丁目に[仁平|にへい]というのがございました。
これがなにかと世話になった身ですから尋ねて見ます
と、これもみな無難で大喜びだが、[鳶頭|とび]だけに目が廻る
ほど忙しい。人手は猫も杓子も働かしたいんでございま
すから、なんと手伝って下さるまいかとの頼みで。……
じゃア何も[人助|ひとだすけ]だと、同家から人夫ですな、人夫に出た
んですが、一日今の三銭五厘(昔の三百五十文)。
本町の鱗吉
諸方をやりましたが、実に哀れでお気の毒だったのは、
本町三丁目の薬屋[鱗吉|うろこきち]という大きな家がありまして、[其|そ]
[家|こ]は仁平の御得意でございましたが、ソコの娘さんが土
蔵の[庇合|ひあい]で[潰|やら]れたんで、ソレを掘出しますと、黄八丈の
[衣服|きもの]に、前の日[結|ゆ]ったという文金の高島田に、紅い[布|きれ]を
懸けた色のクッキリ白い襟足の、玉のようなお嬢さん。
―[白木屋|しらきや]のお[駒|こま]さんみたいな娘さんがどうです。ペチ
ャシコ、押潰されて顔なんか[挫|くだ]け……[見分|みわけ]がつかないじ
ゃアございませんか、[御家内|おかみ]さんに見せた日には[大事|おおごと]と、
ソツと座敷へ連込み、寝かしましてございます。
加持御祈禱
けれども[御家内|おかみ]さんに見せない訳にゆきませんから、
一目お見せ申すと、案の状ハッと[逆上|とりのぼ]せて、可哀相に[狂気|きちがい]
になってしまったんでございます。実に目もあてられな
いんで。……[加持御祈禱|かじごきとう]してもどうしても[癒|なお]りませんで、
ソレから二十日ばかり過ぎて、私と[外|ほか]に二人ばかり附添
い、[王子|おうじ]の滝へお連れ申しましたが、癒りませんでござ
いました。……そんなこんなであの地震はなおさらよく
覚えていますんでございます……。