Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2700338
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔徳島県災異誌〕S57・3・15徳島県
本文
[未校訂][勝浦郡誌]五日夕刻大地震がゆり出すと同時に川口に
は山の様な津波が起り、民衆は大いに驚いて命からがら
避難した。此時北町光善寺西隣りの小川屋が倒れ火元に
なった誰一人消防する者がない それで光善寺に燃え移
り更に東側一体を烏有に帰し北町も残らず燃えたので丈
六寺の旧記にある通り神代橋筋と祇園、八幡両社及び地
蔵寺だけが残った。こんな有様で徳島市街、小松島の大
火と併称されている 併し高波は幸にしていささか上陸
した計りであったという。
[吉野川]徳島は約一〇〇〇戸が焼失約二〇〇人が死に
小松島も大火また板野郡誌は岡崎(鳴門)で三割潰家、二
割焼失、下板地方では二〇〇戸全半潰と記す
[元木文書]五日暮六ツ前より内町魚の棚そばやより出
火通り町一丁目中程より同時の出火 四方へ広がり西風
強く候へども西へ焼け通り横町より東へ三、四軒程宛残
し南は塀裏大手筋残し 東は稲田 賀島御両家焼出北は
紙屋町残らず焼失。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 660
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 徳島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

検索時間: 0.001秒