[未校訂]三 安政地震
嘉永七年(一八五四)十一月四日に遠州灘に、翌五日に
は潮岬南西沖に大地震が起こった。この二つの地震を安
政地震と呼んでいるが、嘉永地震として記録されている
場合もある。五日の地震はちょうど夕食の用意時であっ
たので、徳島の内町や小松島では火災が発生し、二〇〇
人の死者が出た。海部郡・那賀郡では津波の被害が大き
かった。
日和佐町の海岸に近い地域では、潰れた家や潮入りの
あった家が出たが、死亡者はなかった。北村家文書・甚
助持田分によれば、鍬下(免租)になった潮入田は表5の
ようである。甚助は時の豪商で回船問屋谷屋の当主であ
る。
表5 鍬下(免租)をうけた潮入田
区域
寺前傍示
寺前
太左衛門開三五井
弁財天
櫛ケ谷
外嵐
加りや
外磯
弁財天
仮御検地
引船渡上
外嵐
浦地
寺前
〃
下櫛ケ谷
計
面積(反)
11.75
5.81
41.37
9.64
5.36
0.14
4.12
2.00
1.89
0.37
2.46
0.42
0.6
8町5反9畝