[未校訂] さらに安政元年(一八五四)十一月四日から同月一五日
までに起こった東海道沖地震は激しかったようである。
この安政元年地震は特に五日が大震し、この日を中心に三〇回余りも震動したすざまじいもので、西は山陰・山陽にも及ぶという広範囲な地域に被害を出している。太陽が二つ昇ったと騒ぎ、土地亀裂し住民野宿するという。
福山は、「当国福山城下内、深津村人家いたみ多し、[尤|もっと]
[古|も]き家甚し、神村にて田中より水新に吹出し、下は川と
成、其外所々其類多し、…」(菅波信道一代記)などと被
害の状況を伝えている。深津郡役所家屋も倒壊したよう
で、このような地震はいまだかって経験したことのない
大地震という。