[未校訂](晴雨萬日記)山口庄兵衛記
霜月五日 尤も雲かけ多く終日風吹く也。至つて寒し。
朝の内時々小地震ゆる。
〇七ツ半過より殊の外大地震ゆり出し、家内中残らず
皆逃出す。尾崎平兵衛方の道の脇へ俄かに木屋をしつ
らひ、夜通し木屋住居にて候。爰の木屋と桁続きに尾
崎平兵衛家内木屋建てる。尤も又左衛門頭取り、手伝
共也。新宅家内は爰の□一緒に居る。其上へ万右衛門
方、浦の畑家内桁続きに木屋住居也。其所へ亀田家内
同所の畑へ木屋建てる。其空四ツ辻の脇へ爰の畑へ又
右衛門方の木屋住居致す也。(翌日)暮六ツ時、中地震
一つゆりそれより時々地鳴りし、時々小地震あり。夜
の七ツ時頃より少し雪雨ふり出し、夜の明け方少し前
より木屋を出、拙ども大隠居へ行く。
(注、嘉永七年、すなわち一一月二七日より安政元年。
この年大地震で、津波が襲い各地に大被害を与えた。)